2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
フォト

トップページ | 2011年4月 »

2011年3月の8件の記事

2011年3月26日 (土)

No.8 「今ここに ユニオンがある 夢がある」

 3月23日、エル・おおさかでシンポジウム『若者の雇用と、いまの労働運動 ~僕達がつくりたい明日のカタチ~』が開かれました。

このシンポジウムは、「地域労組おおさか青年部」の専従体制を支えるための「青年部基金」を強化しようと、有志の人々が実行委員会を作って行ったものです。

 「地域労組おおさか青年部」は、大阪府内の地域労組に所属する青年たちで構成されていますが、ここ数年、斬新なスローガンや、インターネットの活用など、ユニークな取組みで注目を浴びています。
MBS毎日放送のニュース「VOICE」(2010年3月24日)で紹介され、また同放送のドキュメント番組「映像'10」の「正しくキレよう!今どきの労働組合運動なう」(2010年11月28日)でも報道されました。
また、先日ご紹介した岩波ブックレット「就活とブラック企業」の中でも、書記長の中嶌聡さんが発言していま110323_2す。

 今回のシンポジウムの内容は、次のようなものでした。

1 基調講演 「若者の就職問題と働き方の現状」(森岡孝二・関西大学) 【写真・上】
2 実践レポート!未来を切りひらく若者の労働運動
 ① 「首都圏青年ユニオンが歩んできた10年を振り返って」(河添誠・首都圏青年ユニオン書記長)【写真・下】
 ② 「正しくキレよう!第三の選択肢としてのユニオン」(中嶌聡・地域労組おおさか青年部書記長)
3 リレートーク 「働く若者に未来はあるか?!」
 発言者:河添誠、中嶌聡、中西基(弁護士) コーディネーター:岩城穣(弁護士)110323
 会場発言:不当解雇に対して団体交渉で闘っている男性、闘って勝利解決した女性など
4 地域労組おおさか青年部基金への加入の訴え
5 閉会あいさつ

 若い皆さんが手作りで準備した企画で、たどたどしさ、あぶなっかしさがかえって新鮮で、あったかく、元気の出るつどいでした。
このような企画に、コーディネーターとして関わらせていただけたのは、とても光栄なことと感謝しています。
何よりも参加者の心を打ったのは、やはり悔しい思いをしながら頑張っている当事者の発言でした。
特に今は、ひと昔前とは比較にならないほど、世間はもちろん、「自分自身」の中でも、「自己責任論」が大手を振っています。
「解雇されるのは自分が悪い」、「それに異議申立をするのはワガママだ」というイデオロギーのもとで、自分の人間としての誇りをかけて闘うこと自体、本当に大変なことなのです。
そんな若者たちにとって、ユニオンは自分の「居場所」であり、「人生の学校」であり、「出撃基地」なんだなあと思いました。

 最後に、基金への参加の呼びかけを、木下秀雄(大阪市大)、根本到(大阪市大)、脇田滋(龍谷大)、森岡孝二(関西大学)の4人の研究者の方々を代表して森岡教授が行いました。表題の川柳は、その訴えの中で森岡教授が披露したものです。
古今東西を問わず、激動の時代を動かしたのは、いつも若者たちでした。
若者が自分自身と社会の未来に希望を持てなくさせられている暗い時代であっても、その閉塞感を打ち破るのは、やはり未来に生きる若者しかありません。

若者の、若者による、若者のための労働運動への期待。
森岡先生が川柳に込めた思いを共有する人々は、決して少なくないと思うのです。

         ↓   ↓   ↓  
♪ここまで読んで下さった方は・・・ワンクリックしていただけたら嬉しいです。
にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
にほんブログ村

2011年3月23日 (水)

No.7 伊勢正三・山本潤子コンサートに行ってきました

 3月21日、堺市民会館大ホールであった「伊勢正三with山本潤子 アコースティックLIVE2011」に妻と行ってきました。
根っからの「70年代フォーク」世代なので、このテのコンサートには時々行きます。110321

 震災からまだ10日目でしたが、会場は満員!伊勢さん、山本さんも、「予定どおりやるかどうかについて、悩みましたがやることにしました」ということをおっしゃっていました。

 山本潤子さんは、中学時代の「赤い鳥」、高校時代から浪人・学生時代の「ハイ・ファイ・セット」を通じてずっとファンでした。少しハスキーながら、まっすぐで伸びのある声で歌う、情感あふれる曲が好きです。今回、出身が大阪市阿倍野区昭和町ということで、ベタベタの大阪人ということを知り、より親近感を感じました。

伊勢正三さんも、「かぐや姫」、「風」時代から好きですが、伊勢さんの作ったイルカさんや太田裕美さんのヒット曲にも好きな曲が多いです。

今回、2人が歌ってくれたのは、「海を見ていた午後」、「22歳の別れ」、「冷たい雨」、「海岸通」、「なごり雪」、「忘れていた朝」、「中央フリーウェイ」、「フィーリング」、「ささやかなこの人生」、「翼を下さい」といったなつかしい歌のほか(題名が思い出せない曲もありました)、「あったらいいなと思うもの」、「青い夏」、「緑の季節」という曲は初めて聴きましたが、いっぺんに好きになりました。

 それにしても、このようなコンサートに行って愕然とするのは、来ている参加者たちを見て、自分の年齢を再認識させられることです。今回も、思いっきりオジサン、オバサたちがワンサカ。僕たちも紛れもなくそのうちの一人。

でも、なつかしい歌を聴き、一緒に口ずさむうちに、同じ時代を生きてきた者同士の共感と、温かい雰囲気が広がります。そして、みんな少し元気になって帰るのです。

山本潤子さん、伊勢正三さん、どうもありがとうございました。

         ↓   ↓   ↓  
♪ここまで読んで下さった方は・・・ワンクリックしていただけたら嬉しいです。
にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
にほんブログ村

2011年3月21日 (月)

No.6 「元祖 マンガ・アニメ世代」の「その後」

 前回投稿の続編である。

「元祖マンガ・アニメ世代」は、当然ながら、その後青年時代を経て、今は50代の中高年になっている。
これら同世代の人たちは、その後マンガ・アニメとどのように付き合っているだろうか。

まず、テレビのアニメは、中学校に入るとあまり見なくなった。勉強しながらラジオの「深夜放送」を聴くのがトレンドになった。関西では朝日放送の「ヤングリクエスト」(ヤンリク)と、毎日放送の「ヤングタウン」(ヤンタン)がほとんどだった。

他方、マンガ雑誌は、もっとたくさん読むようになった。恐らく出版社はこの世代をつなぎとめるために、次々と青年向けのマンガ雑誌を発行するようになり、私も含め、かなりの人たちはそちらに移っていったのである。

ヤングサンデー、ヤングマガジン、ヤングチャンピオン、ヤングキングは、少年マンガの名前に「ヤング」をつけただけである。ビッグコミック、ビッグコミックスピリッツ、ビッグコミックスペリオール、ビッグコミックオリジナル。コミックモーニング、コミックアフタヌーン。週刊漫画も読んだ。学生時代やその後の司法試験浪人時代は、近代麻雀や近代麻雀オリジナルも愛読していた。
だから、多い時は週に10~15冊くらい読んでいたのではないか。

それでは、青年マンガも卒業し、中高年になった最近はどうだろうか。
私の知る限り、さすがにマンガはほとんど読まなくなっている人が圧倒的だろう。
中高年を読者層とするマンガ雑誌はあるが、同世代的な共感を「ウリ」にしているわけでもなく、わざわざ買ってまで読む気がしないのだろう。

私自身も、ほとんど読まなくなった。
ただ、今でも「ビッグコミックオリジナル」だけは、必ず購入して読んでいる。
このマンガ雑誌は、連載している作品の質が圧倒的に高い。
「釣りバカ日誌」、「あぶさん」、「流浪雲」、「三丁目の夕日」はもう数十年連載が続いている。
「弁護士のくず」は、現役の弁護士が協力しているようで、弁護士が読んでも面白い(テレビドラマにもなったようだ)。
「玄米せんせいの弁当箱」、「岳 みんなの山」、「どうらく息子」も、温かみのある作品である。
「深夜食堂」、「あじさいの唄」も結構泣けるので好きである。

一番の愛読は弘兼憲史の「黄昏流星群」。
弘兼氏の作品は、「ハロー張りネズミ」、「島耕作」シリーズ、「人間交差点」、「ラストニュース」など、昔から愛読している。いかにも団塊世代らしく、テーマに社会性が強く、また、同世代に対する共感・激励のメッセージが込められていて、世代的に共感できる。

というわけで、「元祖マンガ・アニメ世代」はいまや絶滅寸前(?)である。
少し寂しいが、仕方がないのかもしれない。

         ↓   ↓   ↓  
♪ここまで読んで下さった方は・・・ワンクリックしていただけたら嬉しいです。
にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
にほんブログ村

2011年3月20日 (日)

No.5 「元祖 マンガ・アニメ世代」

 私は1956年(昭和31年)生まれである。
この年は、前年の1955年に1人当りの実質国民総生産(GNP)が戦前の水準を超えたことから、経済企画庁の経済白書が「もはや戦後ではない」との有名なフレーズを記述した「節目の年」であった。

その象徴として、テレビ(もちろん白黒である)・洗濯機(水を切るのは手動で2つのローラーの間を通すものだった)・冷蔵庫(「三種の神器」と言われたそうだ)が普及しはじめたとされる。
しかし、一気に普及したわけではなく、また、当然貧富の格差があるから、お金持ちの家から順に普及していった。

私の生まれ育った町(和歌山県の紀ノ川沿いの打田町という町。現在は合併して紀ノ川市になっている)では、小学校低学年ではまだテレビは一般的ではなかった。小学2年生だった1964年(昭和39年)の東京オリンピックの頃はまだテレビがない家が多く、小学校の中の畳の部屋でみんなでテレビを観た記憶がある。

小学校4、5年の頃から、テレビが普及しはじめた。私の家にまだテレビがなかったため、テレビのある近所のY君(土建屋さんで、お金持ちだった)の家にお邪魔して、「おばけのQ太郎」をみせてもらったりした。Y君の家が夕食の用意ができたのに帰ろうとしないので、迷惑そうな顔をされたことを覚えている。

 小学校中・高学年時代の思い出は、とにかくマンガとアニメである。マンガ雑誌は近所の子どもたちの誰かが買うと、それを回し読みした(うちは貧乏だったので、もっぱら読ませてもらう側だった)。定番の少年サンデー、少年マガジン、少年チャンピオン、少年キングのほか、月刊誌で「少年」や「少年画報」というのもあった。また、「ガロ」や「COM」といった、ややマニアックな雑誌もあった。
マンガ雑誌とテレビのアニメは、連携しあっていた。

 思い出すものを挙げてみる(リンクはユーチューブである。リンク切れになったらゴメンナサイ)。

一番多かったのは手塚治虫の作品だろう。「鉄腕アトム」、「ジャングル大帝」、「マグマ大使」、「W3(ワンダースリー)」、「悟空の大冒険」、「どろろ」、「火の鳥」など。
手塚治虫のマンガに流れているのは、「人間への愛」、「生命への讃歌」、「科学への信頼」ではないだろうか。
そして、私たちの世代の多くは人間や社会を見る根底に、手塚治虫の影響を受けているように思う。

他の有名漫画家では、横山光輝の「ビッグX」、石森章太郎(後に「石ノ森」と改名)の「サイボーグ009」、水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」など。

これらに触発されたのか、なぜか「宇宙もの」「超人もの」「妖怪もの」が多かった。
スーパージェッター」、「宇宙少年ソラン」、「遊星少年パピイ」、「遊星仮面」、「宇宙エース」、「エイトマン」、「妖怪人間ベム」。中には違いをよく思い出せないものもあるが、主題歌(テーマソング)だけは今でもほとんど歌えるのがコワイ。

「自然もの」では、「狼少年ケン」はちょっとアメリカ的なアニメだった。放映期間は短かったが、私は「冒険ガボテン島」がものすごく好きだった。5人の子どもたちが無人島に流れ着き、ケンカしながらも力を合わせて生きていくという設定である。

お笑い・ギャグ系では、藤子不二雄の「おばけのQ太郎」、「パーマン」。赤塚不二夫の「おそ松くん」、「天才バカボン」。永井豪の「ハレンチ学園」は、当時の子どもには衝撃的だった。。

「スポ根もの」の先駆けで、ちばてつやの「ハリスの旋風(かぜ)」、「あしたのジョー」。梶原一騎の「巨人の星」も大人気だった。

こうしてみると、その後何度もリニューアルされる有名な作品の初代は、この時期に連載・放映されていることがわかる。

毎日毎日、放課後から暗くなるまで外で遊んで、夜はアニメを見て、合間を見つけてはマンガを読むという小学生時代だった。塾に行く子もあったが、どちらかというと寺子屋的な感じで、行かない子も多かった。
私についていえば、家で予習・復習を多少ともするようになったのは、小学校5年ころからだった。

 私たちの前の昭和20年代から30年代初頭にもマンガはあったが(「赤胴鈴之介」や「のらくろ」など)、上記の手塚治虫以降のマンガとは、恐らく質的に違うのではないだろうか。

その意味で、おそらく私たちが、「元祖マンガ・アニメ世代」だと思うのである。

         ↓   ↓   ↓  
♪ここまで読んで下さった方は・・・ワンクリックしていただけたら嬉しいです。
にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
にほんブログ村

2011年3月18日 (金)

No.4 まず自分を励ますこと

 連日、新聞もテレビも大震災と福島原発事故関連の一色である。
たくさんの悲しすぎる出来事が生まれている。懸命に救助・支援をしている人がいる。自らの命を危険にさらして原発への放水・冷却作業に挑んでいる人がいる。
そんな中で、自分は何もできないのに、何か落ちつかない、イライラする、元気が出ない、と感じている人は多いのではないだろうか。

私自身そのように感じていたところに、北海道新聞に掲載された香山リカさんの寄稿のことを、知人から教えていただいた。

(以下、引用)
「あなたの力が必要」その日のために

 これを読んでいるあなたは、とりあえず今は安全な場所にいるのだろうか。

 だとしたら、どういう状況であるかにかかわらず、まずは「私は、大丈夫」と自分に声をかけ、安心させてあげてほしい。

 もちろん、親族や友人と連絡が取れなかったり避難所や病院にいると聞かされたりして、「とても、自分を安心させるなんて無理だ」と思う人もいるだろう。懸命の救援活動の映像を見ながら、「自分のことなんて、今はとても考えられない」と憤りにも似た気持ちを抱く人もいるかもしれない。

 それでも私は、「まず自分を励まして」と言いたいのだ。

 日本を襲った未曽有の大惨事。今はこの国に住むほとんどの人たちが、この大災害に関する情報、そしておびただしい映像に連日、接し、これまでとは違った毎日を送っている。たとえ直接、大きな揺れを感じたり津波を目撃したりしていない人でも、かなりリアルな「疑似体験」をしていると言っていい。

 そうなると、私たちの心は、被災地にいる人にも匹敵するような大きなダメージを受ける。そこには心の傷、つまりトラウマも発生する。実際、テレビの映像だけから深刻なトラウマ後遺症が発症した例が、アメリカの同時多発テロの後、いくつも報告されている。

 眠れない。不安で胸がザワザワする。気持ちが落ち込んで無気力になる。逆に、「何かしたい」と思い、目的もないまま動きまわってしまう。人と話していてもやたらとイライラする。これらは、すでに心が深刻な傷を受けていることを意味している。

 被災地で実際に大きな打撃を受けた人が無数にいるのに、そこから離れた場所にいる人までが、トラウマで心身を病んでしまったらどうなるだろう。助けの手を差しのべるべき立場にいる人が、心のケアを必要とするようになる、といった事態は、何としても避けなくてはならない。

 これからは、日本中がお互いを支え合い、励まし合って、立ち直っていかなくてはならないのだ。そのためにも、まずすべきことは、自分で自分を守ること。そうできる人は、ゆっくり体を休め、食事をきちん取り、お風呂に入って体をあたためる。「被災地の人に申し訳ない」と思う気持ちもわかるが、そうやって自分を維持することが直接、被災していない人の義務だと思う。

 「あなたの力が必要」と言われるその日に備え、自分の生活と健康を守る。それが今、私たちにできる最大限のことなのではないだろうか。
(引用終わり)

 タイムリーな、すばらしいご寄稿だと思う。
 私を含め、救われた気持ちになった人は多いのではないだろうか。
 香山リカさん、ありがとう。

         ↓   ↓   ↓  
♪ここまで読んで下さった方は・・・ワンクリックしていただけたら嬉しいです。
にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
にほんブログ村

2011年3月17日 (木)

No.3 「就活とブラック企業」についての、私たちの本ができました

 3月8日、岩波ブックレットとして、「就活とブラック企業――現代の若者の働きかた事情」(森岡孝二・編、税込み525円)が出版されました。

これは、私が事務局長をしてしている大阪過労死問題連絡会が昨年11月17日、過労死110番のプレシンポジウムとして開いた、「若年労働者の過労死・過労自殺からみる  就活におけるブラック企業の見分け方」での報告や議論をブックレットとしてまとめたものです。

大阪過労死問題連絡会の会長を務めて下さっている、関西 大学教授の森岡孝二先生が、岩波書店とかけあって下さり、担当者のTさんのてきぱきとした編集作業により、短期間ですばらしいブックレットができあがりました。
森岡先生とTさんに深く感謝します。

【目次】110318_3

シンポジウム「ブラック企業の見分けかた」の開催にあたって 岩城 穣

第I部 就活とブラック企業を考える
1 大学生の就職活動と就職後の働きかた 森岡孝二
2 「日本海庄や過労死事件」から見たブラック企業 松丸 正
3 息子を就職四カ月で失って 吹上 了

第II部 学生の就活体験と若者の労働実態
1 私のシューカツ体験 畑中 文
2 なぜ若者は会社を去るのか――ハローワーク前調査から 川村遼平
3 「正しくキレる」手段としてのユニオン 中嶌 聡

第III部 質疑応答

あとがき 森岡孝二

 以下は、私のまえがきの引用です。

 最近若者たちの間で,「就職したらひどい目にあうので避けた方がよい企業」という意味の「ブラック企業」という言葉が広がっています.今回(2010年11月17日,「エルおおさか」にて),「若年労働者の過労死・過労自殺からみるブラック企業の見分けかた」をテーマとしてシンポジウムを行うことにしたのは,就職活動中の学生,就職して間もない新人社員らにスポットを当てて,若年労働者が企業に就職し,過労死・過労自殺に追い込まれていく過程や構造を,次のような点から多角的に明らかにして,参加者みんなで一緒に考えたいという思いからです.

①「ブラック企業」の具体的な例として,どのようなものがあるか.また「ブラック企業」以外は問題がないのか.
②未曾有の就職難の中で,学生たちは早くから必死の思いで「シューカツ」をしているが,そこから見えてくる企業の姿はどのようなものか.
③学生の労働相談NPOや地域ユニオン青年部の取り組みからみて,若者の働きかたのどこが問題か.また職場の法律違反を是正させるには,どうしたらよいのか.

 報告と議論を通じて,若者を過労死・過労自殺に追い込んだり,違法な解雇や賃金不払いなどの違法・不当な働かせかたをしたりしているのは,一部の「ブラック企業」だけではなく,多くの企業にみられるものであること,それゆえ,「ブラック企業」に就職しなければよいという問題ではなく,法令を遵守させていくことが社会全体の課題であることが明らかになったと思います.

 このシンポジウムの内容は,これから就職活動に取り組む学生,既に企業に就職し過酷な労働をしている皆さんに,さまざまな示唆を与えるものと思われたことから,今般,岩波ブックレットとして出版される運びとなりました.これを題材に,若者の就職問題,労働問題の実情と,改善の方策について広く議論していただければ,これに勝る喜びはありません.
           (本書冒頭「シンポジウム『ブラック企業の見分けかた』の開催にあたって」より)

 このブックレットが、就職難で苦しむ学生の皆さん、正社員で入社したものの過労死寸前まで働かされている皆さん、非正規労働で不安定な生活を余儀なくされている皆さんに広く読まれ、お互いの立場の違いを超えて議論していただけたら嬉しく思います。

読まれた方は、また感想などお寄せ下さい。

         ↓   ↓   ↓  
♪ここまで読んで下さった方は・・・ワンクリックしていただけたら嬉しいです。
にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
にほんブログ村

2011年3月14日 (月)

No.2 悪夢なら醒めてほしい──東日本大震災

 2011年3月11日午後2時46分。この東日本を襲った大震災の発生時刻は、阪神大震災の1995年1月17日午前5時46分と並んで、永久に刻まれるのだろう。

マグニチュードは9.0に上方修正された。被害の規模や犠牲者数は、これからもどんどん増え続けそうだ。1つの町や集落全部が壊滅しており、犠牲者は数万人規模になるという見方もあるようだ。

 阪神大震災の恐怖は、地震自体による建物の倒壊と、その後発生した火災であった。今回の大震災では、建物の倒壊や火災もさることながら、はるかに衝撃的だったのは、津波の恐怖である。津波というものがこれほど恐ろしいものだということを、これまで知らなかったのは私だけではあるまい。

真っ黒で巨大な水が、まるで妖怪のように、町全体を飲み込んでいく。建物と車と船が一緒になって流されていく。逃れようと懸命に走る自動車を飲み込む。列車やトレーラーさえ押し流す。水位が3階、4階の高さまで達したところもあるようだ。そして、津波が去った後は、残骸と泥以外、何も残っていない。まるでハリウッドの特撮映画を観ているような錯覚にとらわれるが、紛れもない、しかも日本の現実。悪夢であれば醒めてほしい。

この恐怖の光景の中で、いったいどれだけの人々が犠牲になったことだろう。家族を失い、家を、財産を失った人たちはどれほどいるだろう。

わずか数日前まで、同じように生き、暮らしていた人々の命が、生活が一瞬で奪われる。そのように運命が分かれるのに、いったい何の理由や責任があるのか。それを考えると、胸がつぶれる思いである。

思えば、ニュージーランドでM6.3の地震が発生し多数の日本人の犠牲者が出たのはわずか3週間前の年2月22日であった。多数の救助部隊を送った日本が、今度は支援の申し出を受けている。

私たち人間は地球の主人公のように振る舞っているが、普段は温和な自然の中で「生かせてもらっている」にすぎないのではないか。だったら、いじめたりいがみあったりしている場合ではなく、共に安全に生きられるよう、力を合わせるべきではないか。

いっぽうで、これほどの被害は、本当に防げなかったのか。政治や行政に責任はないのか。特に、原発の損壊・爆発については、安全だ安全だと吹聴してきた電力会社や行政の責任は避けて通れないのではないか。

無力感とやるせなさに落ち込みながら、そんなこと考えた週末であった。

         ↓   ↓   ↓  
♪ここまで読んで下さった方は・・・ワンクリックしていただけたら嬉しいです。
にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
にほんブログ村

2011年3月13日 (日)

No.1 記念すべき第1回投稿です。

 私は、大阪で弁護士をしています岩城 穣(いわき・ゆたか)です。「あべの総合法律事務所」に所属しております。

私が弁護士登録した1988年に初めて「過労死110番」が実施され、駆け出しなのに電話相談に応じたことが原体験となって、過労死問題がライフワークとなりました。現在、過労死弁護団全国連絡会議の事務局次長、大阪過労死問題連絡会の事務局長を務めさせていただいております。

現在、過労死・過労自殺や解雇、残業代請求などの労働事件、欠陥住宅などの建築紛争事件が多いですが、それ以外の一般の市民事件も広く担当しています。

世界史で、ローマの「護民官」というものを学んだとき、すごく心が惹かれた記憶があり、それが弁護士をめざした原点だったような気がします。もちろん、「弁護士」と「護民官」はまったく制度が違いますが、役割的には似ているところもあるように思うのです。その意味で、私は自分を勝手に「護民派弁護士」だと思っています。

 最近は弁護士のブログなんて珍しくなくなりましたが、今からでも初めてみようと思うに至ったのは、次のような理由からです。

①昔から、日記をつけようと思うが、なかなか実践できなかった(続かなかった)。

②単に「こんなことがあった」というだけでなく、日々の仕事の雑感や、政治・経済・社会の事象についての感想なども書き残したい。

③第三者の方にも読まれることを想定して意見を書くことで、自分なりに考えを整理することができるのではないか。

 その場合、自分の実名を明らかにするのかどうかは、一つの問題です。匿名のほうが言いたいことを気楽に言えます。他方、実名の場合には発言に責任を持たなければならないうえ、自分が担当している事件についてのコメントは守秘義務の関係で相当制約されます。

悩みましたが、実名で行くことにしました。

 もっとも、私はインターネットというものが必ずしも好きではありません。私は基本的に「性善説」の立場ですが、世の中には必ずしも善意の人ばかりではなく、とりわけ匿名が原則のネット社会では、自分のストレス発散や邪(よこしま)な意図で、「ためにする攻撃」をする人がいるからです。

私はそのような攻撃を受けた場合、それとネット上で論争して打ち負かすほど、自分の意見に自信はありませんし、時間的に余裕があるわけでもありません。だから、すぐにこのブログを閉鎖して退散することになるかもしれません。

 「はばかり日記」というタイトルにしたのは、「はばかる」というのは、「遠慮する」という意味があり、謙虚に意見を述べたいという思いからです。また、「はばかりさま」というと「ご苦労さま」「お世話さま」という意味もあるので、そのような意味も込めています。なお、「はばかり」には「トイレ」の意味もあるようですが、これは関係ありません。(笑)

どれくらいの頻度で書けるか、どれくらい続けられるのかわかりませんが、皆様よろしくお願いいたします。

         ↓   ↓   ↓  
♪ここまで読んで下さった方は・・・ワンクリックしていただけたら嬉しいです。
にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
にほんブログ村

トップページ | 2011年4月 »

無料ブログはココログ