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2011年4月 8日 (金)

No.11 「ニッポンの男たちへ」の素敵なエール(その1・付記)

 前回の投稿で、現代は「男性受難の時代」だと思う、と書いた。
 この点について、少しだけ補足したい。

 1つは、「男性は今まで社会的にも経済的にも肉体的(腕力)にも、女性よりも有利な立場にあり、威張っていたのが威張れなくなっただけで、「受難」というのはおかしいのではないか、という点である。

確かに、戦前の農村社会での家父長制(さらには軍国主義下では「兵隊」として役に立つのは男子であり(「産めよ増やせよ」は男子を意味した。)、戦後の男性正社員の終身雇用制のもとで、男性は女性よりも一般的に優れているといった、根拠のない男性優位思想が根強く残っており、これを信奉する軽薄な人間がいることは事実である(たとえば、石原慎太郎(現都知事)の「女性が生殖能力を失っても生きてるってのは、無駄で罪です」発言とか、柳沢厚生労働大臣(当時)の「女性は子どもを産む機械」発言などに、その一端が見える。)。

しかし、私が言いたいのは、家父長制社会、男性正社員終身雇用社会では、男性は「家族を守り、支えないといけない」という重い責任を負っていたのであり、まじめな多くの男性は、「家族を守り、家庭を支える」ことを自らに課された義務として頑張ってきたということである。

そして、社会・経済の変化と、意識の変化の間にはタイムラグがあることから、家父長的、男性正社員的意識がまだまだ支配的なもとで、社会・経済状況の変化によって従来の責任を果たせなくなったとき、多くの男性は、「自分が不甲斐ない、甲斐性がないのが原因だ」と、自分を責めるのである。小泉内閣以来強まった「自己責任論」がそれを後押ししている。

私は、この主観的意識(「自分が家族を支えなければならない」)と、客観的な社会状況(男性が家族を支えることが社会的に極めて困難になってきていること)とのギャップに、多くの男性が苦しんでいる状況を、「男性受難の時代」と表現しているのである。

 次に、それでは、「戦前の家父長制」も「戦後の男性正社員終身雇用制」も経験していない若い男性は、「受難」はしていないのであろうか。

確かに、狭い意味での「受難」はないかもしれない。しかし、最大の問題は、最近の若い男性の間では、「男らしさ」や「理想的な男性像」といったものが共通の価値として共通認識になっておらず、男性としてのアイデンティティが見出せていないことではないだろうか。

若い世代での「草食系男子」の広がり(男性の「中性化」)は、旧来の男性優位社会が崩壊し、男性の社会的地位が相対的に低くなるなかで(男性が下がっていくことによる「男女の平準化」)、「男らしさ」が定義できず、男性が男性であることを胸を張ってアピールできなくなってきたことによる、必然的な結果ではないか。

だとすると、近未来、男女はどんどん似ていくのであろうか。
そう考えると、少し恐くなる。

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