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2011年4月の8件の記事

2011年4月24日 (日)

No.16 「女性専用車両」拡大への異論

 JR西日本では4月18日から、それまで曜日・時間帯が限定されていた女性専用車両が全日・終日化された。
私が通勤に利用している阪和線でいえば、これまでは平日は午前9時以降や土日は専用車両でなくなっていたのが、365日とも終日、男性である私は、女性専用車両と指定された車両に乗れなくなったのである。

 これまでも、一般の車両は混み合っているのに、女性専用車両では空席が目立ったり、そこでバッグ等を隣に置いて化粧にいそしんでいる女性を見たりすると、とても不愉快な気分になった。
 また、間違って乗ってしまったときに、まるで男性であることが悪いことであるかのようにジロジロ見られるときの、あのバツの悪さ、不愉快さは言葉で表現しがたい。
 私の、この不愉快さは、法的保護に値しないのであろうか。
 例えば、女性は補助的労働しかできないと言って差別することと、本質的に同じではないか。

 憲法14条1項は、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」と定めている。男性であるという理由のみで、公共交通機関の利用が一部制約されることが、「性別による差別」に当たることは明らかである。

 あくまで「任意」の「ご協力」だから問題ない、というのが建前かもしれない。
しかし、そのような「協力」を、公共交通機関の運営者が積極的に奨励するのは、やはり憲法違反(公序良俗違反)の問題がある。例えば、「外国人の皆さんは犯罪を犯す可能性があるので、この施設への立ち入りはご遠慮ください」とアナウンスしたり、看板に「日本人専用施設」とすることが問題ないかを考えてみればわかる。

 もっとも、憲法学上、差別であっても合理的根拠がある場合は許されるとされている。

 では、女性専用車両なるものを設ける理由は何だろうか。それは混雑する車両での痴漢行為から被害女性を守るためであり、それ以外にはないというのが私の認識である(間違っていれば教えてほしい。)。
 確かに、満員電車の中で痴漢被害が発生しやすいことは事実であり、そのために女性専用車両を設けることが「有効」であることは否定しない。

 しかし、①本来痴漢行為は立派な犯罪であり、その防止は、基本的には、駅当局・警察による取締りや、乗客に対する教育・啓発によるべきものであり(それらは今も行われている。)、およそすべての男性を、特定の車両に乗せないことは、手段として「やり過ぎ」である(上記の例でいえば、外国人犯罪が増えているとして、外国人全部を特定の施設に入れないというのと同じである。)。

 ②また、この制度は、男性という性が、女性という性に対して一般的に加害的・侵害的であるという前提に立っており、その意味で「人間不信の制度」である。
 しかし、およそすべての男性に痴漢の危険性があるわけではないし、およそすべての女性が痴漢に会う危険性があるわけでもない。
 また、痴漢被害は、厳密に言えば加害者が男性、被害者が女性というパターンばかりとは限らない。例えば少年に対して成人男性が痴漢をするようなケースも、少ないが存在するのである。
 さらに、一見すると男性か女性かわからない人もいるし(それはその人の個性だろう。)、いわゆる性同一性障害の人もいる。そのような人たちにも外形による振り分けを強制することになるのである。
 お母さんと男子中学生、老年のご夫婦などは、別々の車両に乗るか、お母さんや奥さんが普通車両に乗らざるをえないことになるのも、説明がつかない。

 ③男女平等の見地からは、女性専用車両を作る以上、同数の男性専用車両も作るべきである。なぜなら、女性はどの車両にも乗れるのに対し、男性は女性専用車両には乗れないから、男性乗客は一般的に女性乗客よりも混み合った車両に乗ることを強制されることになるからである。
 もっとも、男性客が女性客よりもかなり多いのであれば、女性専用車両を設けても男性が不利になるわけではないが、そのような統計は聞かないし、少なくとも大阪では、乗客数に男女差がさほどあるとは思えない。
 男性だけがそのような混雑率の差異を受忍すべき根拠はないし、他方で、男性専用車両を作ることが不合理とはいえない。
 男性の中にも、男性専用車両なんてイヤだという人もいるかもしれないが、痴漢に疑われたくないとか、女性の香水のにおいがイヤだとか、空いているならそちらの方がいいという人もいるだろう。いろんな考えや選択の人がいるのは、男性でも同じなのである。
 男性専用車両を作ると、女性は男性専用車両に乗ってはならないという不便を余儀なくされるが、それは現在男性が既に受けている、女性専用車両に乗れない不便と同じであって、「お互い様」なのである。

 ④さらに、この制度は、男女の相互理解や「共生」の理念に反し、男性と女性の間の表面的・皮相的な対立と憎悪を助長し(「男なんてみんな同じ」とか「女はわがままだ」など)、本当の男女平等の浸透につながらないと思う。
 子どもたちへの教育という点からもよくない。男の子は、13歳になると、「自分は女性にとって「危険」と見なされているから、女性専用車両に乗ってはいけない」と自分で納得しないといけないのである。人間社会には男性と女性しかいないのだから、本来「共生」が基本であって、「隔離」や「排除」が基本であってよいはずがない。

 このように考えてくると、仮に女性専用車両を設けるとしても、それは必要最小限度にとどめられるべきであり、具体的には、乗客の男女比率や、痴漢被害の動向などを統計的に分析したうえで、痴漢被害の防止に必要最小限と認められる程度の混雑がある路線と時間帯に、限定されるべきである。そして、その場合も、同数の男性専用車両を設けるべきだというのが、私の意見である。
 ただし、「女性」に限定するのではなく、「女性・高齢者・障がい者」の専用車両にすれば、社会的共感が得られやすいと思う。

 いずれにせよ、今回JR西日本が、混雑もしていない路線・時間帯・曜日まで常時女性専用車両を作るというのは、明らかに間違っている。

 女性差別や障害者差別もそうだが、差別というのは、それを受けている人が声をあげないと、なかなか改善されない。
 だから、不愉快に感じる男性は、「男らしく」黙って耐えるのではなく、声をあげるべきである。
 それを受けて、女性専用車両を疑問に感じている女性も声を出してほしいと思う。心ある女性であれば、女性だけがゆったりと座れることに、多少とも後ろめたさを感じているのではないか。そのわずかな後ろめたさに目をつぶることが、差別を温存するのではないかと思うのである。

 また、「あくまで「任意」の「協力」のはずだから従わない」として、強引に乗り込む男性もいるかもしれない。
 そこまでしなくても、という人も多いと思うが、もともと強制ではない以上、少数者の主張や行動を尊重するのが民主主義である。そういう人は痴漢などしないはずだ。白眼視するのではなく、柔軟に受け入れる社会こそが、望ましいのではないか。

 「女性専用車両は憲法違反だ」という訴訟でも起これば、面白いかもしれない。
 しかし、今の裁判所では、「あくまで任意のもので、従うことは義務ではないから、問題はない」と判断する可能性が高いと思われる。
 そんな点だけは「ものわかりがいい」のが、現在の裁判所である。

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2011年4月21日 (木)

No.15 「大阪過労死家族の会」総会に参加して

 4月16日、「大阪過労死を考える家族の会」の総会が大阪市中央区で開かれた。110416

 この会は、過労で倒れた被災者本人とその遺族・家族が、お互いに支え会い、励まし合うこと、会として過労死問題を広くアピールしていくことを目的に、1990年12月に結成された。大阪のほか、東京、名古屋、京都、永野、山梨、兵庫、岡山にも「会」があり、これらが集まって「全国過労死家族の会」を作っている(1991年11月結成)。

 突然夫を亡くして、経済的・精神的に大変な中で、夫の業務の過重性を証明する資料を集めて労災申請したり、行政訴訟や民事訴訟を起こすというのは並大抵ではない。家族の会は、このような困難な取り組みを行っている者同士が、お互いに共感し合い、励まし合い、知恵を出し合い、支援し合う団体である。

110416_9  私が感動するのは、20年以上の歴史の中で、自分の闘いが終わった人が会に残り、後に続く仲間に助言や支援をしてあげたり、半年前に入会した人が、入ったばかりの人に助言や支援をしてあげたりする中で、みんながお互いに元気になっていくことである。
 会議では、涙と笑いが絶えず、また、参加者が持ち寄ったいろいろなお菓子が回ってくる。
 当初は夫が過労死した妻が多かったが、最近は過労自殺(自死)の遺族が増え、また、若い息子・娘を失った親が非常に多い。

 今回の総会では、27歳で死亡した息子の和哉さんの労災認定を求めて東京地裁で行政訴訟を闘い、本年3月25日勝訴判決を勝ち取り、判決を確定させた西垣迪世(みちよ)さんの勝利の報告とお祝いが行われた。
和哉さんは富士通の子会社にシステムエンジニア(SE)として入社し勤務していたが、2003年9月ころ精神疾患を発症し、休職と復職を繰り返す中、2006年1月、過量服薬のために亡くなった。
一人息子を失った悲しみの中で命懸けで闘った迪世さんのお話は、参加者の心に迫り、あちこちで涙をぬぐう姿が見られた。110416posse_2 110416_11

 また、今回の総会で特筆されるのは、「地域労組おおさか青年部」の 若者たちと、労働相談を中心に若者の格差・労働問題に取り組む若者主体のNPO法人「POSSE」のメンバーが参加し、交流が行われたことである。大切な家族の命を奪ったのと同じ違法・過酷な労働現場が今も日本中にあり、それに立ち向かっている若者たちがいる。

 この3つの団体が力を合わせれば、新しい「日本の未来」を作れるのではないか。そんな予感さえ感じた総会であった。

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2011年4月16日 (土)

No.14 「ニッポンの男たちへ」の素敵なエール(その4)

朝日新聞のオピニオンページの「リレーおぴにおん」コーナーの連載「ニッポンの男たちへ」シリーズについての更なる続編である。

 第4回(2011.4.13) は、作家・英国生活情報誌「ミスター・パートナー」編集長、井形慶子さん(51)(「英国のシニアに負けないで」)。

【1】 まず、井形さんは、日本とイギリスのシニア(定年退職後の世代)を比較する。

 「30年あまり、日本と英国を行き来しています。そんななか、二つの国で違うと思うのは、現役を退いた男性たちの雰囲気です。
 英国のシニアは家事やボランティアを楽しみ、女性たちへの愛情表現も怠らない。だれにはばかることなく、妻の手をとり、時には他の夫婦も交え、食事や旅を謳歌しています。
 ひるがえって日本はどうでしょう。男性たちは現役時代、しゃにむに働きます。が、退いて家に戻ったとたん、居場所が見えなくなる。妻のケアを長く怠ったせいか、「ぬれ落ち葉」などと揶揄(やゆ)される。妻に先立たれると、食事などの生活そのものが成り立たなくなってしまうことも、問題です。
 英国では、夫婦の力関係がほぼイコールで、若いときから仕事も家事も、近所づきあいも、共同でこなす傾向が強い。これに対し、日本ではまだ「男が外で稼ぎ、女が家を守る」という分業制が残っているからでしょう。男性たちは仕事以外のことに、自信がもてないように見えます。」

 イギリスは伝統ある民主主義、紳士の国だが、男性は家事もボランティアも夫婦で楽しみ、他の夫婦も交えて食事や旅を謳歌するようだ。ここでも、日本の「遅れ」を痛感させられる。

【2】 しかし、井形さんは、今回の大震災でシニアの男性たちを見直した、という。

 「でも3月11日に発生した大災害で、シニアの男性たちを見直しました。定年を迎えた元営業マンは、被災地でのボランティアを志願。現場はリーダー不在の大混乱でしたが、彼はヒト、情報、カネを仕切ってきた営業経験をフル活用し、適材適所にヒトを送り、共同作業が得意な日本人の力を引き出した。同じように活躍するシニアも、数多く見聞きします。」

 「たぶん、この未曾有の災害を機に、人々の価値観が大きく変わるでしょう。手にした地位や資産の大きさが「偉い」のではなく、地域社会に飛び込み、仕事でたくわえた知識や人生経験を、惜しみなく還元することの方が評価されると思います。シニアの力が、日本復興の原動力として求められる時代が来たのです。」

 こんな風に言ってもらえたら、その年代でもないし、ボランティアも何もしていない私もちょっと嬉しい。

井形さんが紹介した「定年を迎えた元営業マン」というのは、おそらく団塊の世代の方だろう。団塊の世代は、基本的には自己主張はしながらも、限りなく社会連帯を求める世代である。これまでサラリーマン生活の中で自分を抑えてきたが、若いころの理想を胸の中に持ち続けている人も多いのではないか。
 また、ちょっと醒めた見方になるが、この世代は終身雇用・年功賃金制が完全に崩壊する前に退職することができ、比較的高額な退職金をもらい、経済的に余裕がある世代でもある。

井形さんのおっしゃるように、この世代の人々が、日本復興の原動力になってくれることを願いたい。

【3】 最後に井形さんは、日本の男性に、3つのアドバイスをする。

 ①「生活面では、英国の男性のように、妻以外の女友達も、ずっと大切にしてほしい。」

 ②「英国の男性は、女の前で泣きます。日本の男性だって、1人で抱えきれないくらいつらいとき、寂しいときは女の前で泣いてもいいじゃないですか。被災され、ひとりになった方たちも多いので、ぜひそう伝えたい。」

 ③「その上で、自分の気持ちや気遣いを気おくれせず、パートナーに伝える表現方法を磨いてほしいですね。英国の男性のように、日常的にキスしたり、女性をほめたりはできないでしょうけど、「語らずとも、オレの気持ちを察してくれ」というのはもう通用しない。電子メールを活用しましょう。さりげない毎日のひと言で、女たちは喜び、もっと優しくなれるのですから。」

 これは全部、そのとおりだと思う。
 「「語らずとも、オレの気持ちを察してくれ」というのはもう通用しない。電子メールを活用しましょう。」というのには、何かの標語みたいで、ちょっと笑ってしまった。

面と向かったり電話では言いにくくても、メールなら言えることもあることは、実際に経験するところである。
日本の男性の皆さん、メールを活用しましょう。

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2011年4月15日 (金)

No.13 「ニッポンの男たちへ」の素敵なエール(その3)

 朝日新聞のオピニオンページの「リレーおぴにおん」コーナーの連載「ニッポンの男たちへ」シリーズについての更なる続編である。

 第3回(2011.4.12) は、「70年代郊外育ちの知性派タレント」、麻木久仁子さん(48)(「真のリベラル」は10歳下に?」)。

 「私は1962年の生まれ、同世代の男子たちは若いころ「新人類」と呼ばれました。(中略)元祖オタク世代。」

 「何を考えているのか分からない、と言われた世代も、今や管理職になる年齢です。宇宙人のよう、だったのが意外なほど器用に立ち回っている印象がある。上からは「オレがオレが」の団塊世代の圧力を受け、下から超堅実集団のロスジェネ世代に突き上げられ、調整は簡単じゃないはずなのに。」

 「夢想的なところも調整上手なのも、若いころの経済事情が影響してるのかもしれません。戦後の成長期の2段目にさしかかった時期。車やカラーテレビやエアコンが普及して、日本全体がバブルに向けて右肩上がり。ギスギスせずに生きていけたんです。個人生活を大事にしつつ、人付き合いにもエネルギーを割く余裕があった。」

 「そして、男女が対等につきあえるようになった最初の世代。女性が4年制大学へ行くのが当たり前になり、専業主婦願望は急激に希薄になった。とりわけ東京郊外で育った私たちは、「お嫁さんになれないよ」と叱られることがなかった。もっぱら「勉強しなさい」ですよ。男子は学業のライバルであり、学園生活の仲間だったんです。」

 「ただ、外では対等でも、家庭チームのメンバーとしては、男性は活躍を計算できるレギュラーになりきれていない。少なくとも私の経験の範囲では。
 団塊おじさんよりはまし、と言ったら怒られるかな。団塊の「男女同権」はあくまでキャッチフレーズ、腹では「女はバリケードの裏でおにぎりでも握ってろ」というところではないですか?でも、同世代男性も「言われればやったのに」止まり。積極的に動いて家事や育児で着実にポイントを稼ぐという域には達していないんです。」

 「男性が女性を引きつけるためにどうふるまうかは社会状況に影響される。20代に増えている草食系男子は不況になじむ戦略を取っているだけなんでしょう。消費に走らず、恋愛に慎重、エネルギーの無駄遣いをしない。私たちは好景気をくぐってるので「やや雑食」の部分もないとつらいですけど。」

 「自分がこんど結婚するとすれば、10歳くらい年下の人がいいんじゃないかな、と夢想してます。(中略)女性の年齢にもこだわらないし、家にいるか仕事をするかにも無頓着だと聞きました。」

 「もしかすると、「新人類」と「ロスジェネ」との間に、表裏なく、教養や文化度も高い、真にリベラルな男の層が薄く広がってるんじゃないかな。まあ、たいていは既婚者でしょうし、そもそも「都市伝説」かもしれませんが。」

 そういえば、1962年(昭和37年)生まれあたりの人が「新人類」と呼ばれた時期があったなあ。

 この世代の人は、高度成長期に思春期を迎え、男女平等が普通のものとして育ったのであろう。でも職場はまだまだ男性中心で差別がいっぱい。そんなのギャップの中で、「男女雇用機会均等法」が成立したのは1985年(昭和60年)であった。
 70年代半ばから80年代前半まで不況の時代はあったが、今ほど深刻ではなく、その後はバブル経済(1986年~1992年頃)に向かっていったのである。

 そう考えると、この世代の人たちは、戦後民主主義や男女平等が普通の考え方になり、かつ、終身雇用制のもとで高度成長、その後はバブル景気も経験し、戦後日本の「陽」の部分をふんだんに取り込んで自己形成がなされた、ある意味でもっとも恵まれた世代かもしれない。

 だとすると、この「新人類」世代と、不況・就職難で自信を奪われた「ロスジェネ」世代(1972~82年生まれ)との間(つまり、1962~1971年生まれの10年間)に、「表裏なく、教養や文化度も高い、真にリベラルな男の層が薄く広がっているんじゃないか」という、麻木さんの指摘は正しいといえよう。実際、私の周囲にもそういう人たちがいる(ような気がする)。

 それから、「草食系男子」について、「不況になじむ戦略」だという見方は面白かった。
 私は「その1・付記」(4月8日投稿)で、「(若い世代での「草食系男子」の広がり(男性の「中性化」)は、旧来の男性優位社会が崩壊し、男性の社会的地位が相対的に低くなるなかで(男性が下がっていくことによる「男女の平準化」)、「男らしさ」が定義できず、男性が男性であることを胸を張ってアピールできなくなってきたことによる、必然的な結果ではないか。」と書いたが、麻木さんによれば、男性が「草食系」か「肉食系」か「雑食系」かは、要は景気の好況・不況によって決まる、ということであろうか。だとすれば、景気がよくなれば、また男性は「肉食系」に戻ることになり、あまり心配しなくてよいのであろうか。

 あと、最近、「肉食系女子」という言葉もあるようだが、これは経済との関係はあるのであろうか。
 う~ん、だんだんわからなくなってきた。

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2011年4月 9日 (土)

No.12 「ニッポンの男たちへ」の素敵なエール(その2)

 朝日新聞のオピニオンページの「リレーおぴにおん」コーナーの連載「ニッポンの男たちへ」シリーズについての続編である。

 第2回(2011.4.6) は、イタリア語通訳の田丸公美子さん(61)(「自分を笑えば扉は開く」)。

 「男と女が一生「雄と雌」であり続ける国イタリアでは、男性はセクシーであることを何よりも大切にします。セクハラをしないのがむしろセクハラと言わんばかりに女性をくどく。その分、自分の色気にも磨きをかける。
 いわばその対極ともいえるのが、電車で寝こけている日本の男性です。長距離通勤で疲れ果て、色気どころではないのは分かりますが、ズボンの裾からののぞくすね毛は何とかならないでしょうか。」

 「洗練された立ち振る舞いも苦手ですね。(中略)イタリアでは女性が部屋に入ると、男性は一斉に立ち上がって迎えます。通訳の私の分がまだだからと、自分の食事に箸をつけなかった社長もいました。」

 「騎士道のない日本で、エスコート術を究めろというのも酷なので、まずは形から入ってみてはいかがでしょうか。背筋をキュッと伸ばして堂々と歩くだけでも色気は増します。一通りのテーブルマナーは身につけた上で、食事の時は女性をじっと見つめて話しかける。女は見つめられるほどきれいになるものです。」

 「ユーモアや会話術も欠かせません。イタリアに最近ナンパ塾ができたんですが、「ナンパの帝王」という塾長曰く、一番肝心なのは「自分を笑いものにすること」だそうです。自分をダシにして、女性が笑ってくれれば、最初の扉は開いたも同然だと。一方、日本の男は僕はこんなに偉いんだ、すごい仕事をしているんだって、つい威張ってしまう。自慢話はいいから、もっと笑わせてちょうだいって思う。」

 「かくいう私も夫は日本人です。(中略)寡黙な日本男性が恥ずかしそうに褒めてくれるほうが心に響くようになりました。イタリア人に比べて誠実で、見かけだけで選ばないところも信頼できます。
 何より、イタリア男は女性に尽くしてくれる分、要求も厳しいから疲れるんです。(中略)家では肩の力を抜きたいのは男も女も一緒。日本の男に色気が足りないのは、それを求めない私たち女のせいかもしれませんね。」

 同じように海に囲まれ気候も温和で似ているといわれる両国だが、男女関係のスタイルはなぜこれほど違うのだろうか。
 私は、おおもとには民族性の違いがあると思う(イタリア人は狩猟民族、日本人は農耕民族)。

 ゲルマン民族をはじめとする狩猟民族は、基本は個人個人で、自分のために自己主張し、必要であれば戦う。そのためのルールとして歴史的に形成されてきたのが「騎士道精神」である。これに対し農耕民族は、家族や地域集団で畑を自然から守り農作業を行うために、家族や地域の「和」を重んじ、自己主張や対立を嫌う。

 男女関係についていえば、狩猟民族は女性を自分で獲得する(時には敵から略奪する)ものであり、そのためには、おしゃれやエスコートは当然ということになる。これに対し、農耕社会の日本では、結婚は家同士や地域の中で決まるものであり、結婚した女性は集団に組み込まれるので、基本的にはつなぎとめておく必要はない(「釣った魚に餌はやらない」)。女性も男性に「色気」を求める必要はない。

 とはいえ、これらは歴史的・文化的なもので、今や「狩猟」や「農耕」で食べているわけではないから、それぞれのいいところを取り入れていくことが必要だろう。
 その意味で、日本とイタリアの男性の違いと、それぞれの良さ・欠点を体験的に理解している田丸さんのご意見には、傾聴すべきものがあると思うのである。

 日本人からすれば、「和」や「雰囲気」を大切にしながら、外見にも気を遣い、姿勢を正し、嫌味のないおしゃれをし、女性を優しくエスコートし、ユーモアや話術を身につけ、自慢話ばかりしない、そのうえで、日本人らしく誠実に、かつ、女性がリラックスできる場も与えましょう、ということになろうか。

 これはムズカシイ・・。かく言う私は、どれだけ実践できることやら・・・。

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2011年4月 8日 (金)

No.11 「ニッポンの男たちへ」の素敵なエール(その1・付記)

 前回の投稿で、現代は「男性受難の時代」だと思う、と書いた。
 この点について、少しだけ補足したい。

 1つは、「男性は今まで社会的にも経済的にも肉体的(腕力)にも、女性よりも有利な立場にあり、威張っていたのが威張れなくなっただけで、「受難」というのはおかしいのではないか、という点である。

確かに、戦前の農村社会での家父長制(さらには軍国主義下では「兵隊」として役に立つのは男子であり(「産めよ増やせよ」は男子を意味した。)、戦後の男性正社員の終身雇用制のもとで、男性は女性よりも一般的に優れているといった、根拠のない男性優位思想が根強く残っており、これを信奉する軽薄な人間がいることは事実である(たとえば、石原慎太郎(現都知事)の「女性が生殖能力を失っても生きてるってのは、無駄で罪です」発言とか、柳沢厚生労働大臣(当時)の「女性は子どもを産む機械」発言などに、その一端が見える。)。

しかし、私が言いたいのは、家父長制社会、男性正社員終身雇用社会では、男性は「家族を守り、支えないといけない」という重い責任を負っていたのであり、まじめな多くの男性は、「家族を守り、家庭を支える」ことを自らに課された義務として頑張ってきたということである。

そして、社会・経済の変化と、意識の変化の間にはタイムラグがあることから、家父長的、男性正社員的意識がまだまだ支配的なもとで、社会・経済状況の変化によって従来の責任を果たせなくなったとき、多くの男性は、「自分が不甲斐ない、甲斐性がないのが原因だ」と、自分を責めるのである。小泉内閣以来強まった「自己責任論」がそれを後押ししている。

私は、この主観的意識(「自分が家族を支えなければならない」)と、客観的な社会状況(男性が家族を支えることが社会的に極めて困難になってきていること)とのギャップに、多くの男性が苦しんでいる状況を、「男性受難の時代」と表現しているのである。

 次に、それでは、「戦前の家父長制」も「戦後の男性正社員終身雇用制」も経験していない若い男性は、「受難」はしていないのであろうか。

確かに、狭い意味での「受難」はないかもしれない。しかし、最大の問題は、最近の若い男性の間では、「男らしさ」や「理想的な男性像」といったものが共通の価値として共通認識になっておらず、男性としてのアイデンティティが見出せていないことではないだろうか。

若い世代での「草食系男子」の広がり(男性の「中性化」)は、旧来の男性優位社会が崩壊し、男性の社会的地位が相対的に低くなるなかで(男性が下がっていくことによる「男女の平準化」)、「男らしさ」が定義できず、男性が男性であることを胸を張ってアピールできなくなってきたことによる、必然的な結果ではないか。

だとすると、近未来、男女はどんどん似ていくのであろうか。
そう考えると、少し恐くなる。

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2011年4月 7日 (木)

No.10 「ニッポンの男たちへ」の素敵なエール(その1)

 朝日新聞のオピニオンページの「リレーおぴにおん」コーナーで連載が始まった「ニッポンの男たちへ」シリーズ。まだ2回だが、とても読ませる内容である。

 第1回(2011.4.5) はタレントの安めぐみさん(29)(「ネクタイ緩め一息・・・可愛い」)。

 「草食系男子がブームだと言われています。芸能界でも線が細くて中性的な方が人気です。でもみんなが草食系を好きなわけではないんですよ。私は強くてたくましい男性にひかれます。男性に頼りたい、後ろをついていきたいと思っている女性も本当は多いのではないでしょうか。見た目より精神的な強さを求めます。普段は優しい顔をしていても、いざという時に助けてくれる。そんな男性にドキドキします。」

 「私の父は、酔っぱらって千鳥足で帰ってきて玄関で寝ちゃう、みたいな人なんです。母はいつも「お父さん、ダメなんだから」と言いつつも、外では一歩下がって父を立てていました。家の中ではダメだけど、その分、外で頑張ってほしいという気持ちだったんだと思います。そんな姿を見て、男性が強く生きるためには、内助の功が必要なんだと思いました。」

 「私、男性がネクタイを緩めて、一息ついた感じが好きです。外で一生懸命戦って、自宅では取り繕わない姿を見せる。そんな部分も可愛いって感じちゃいます。」

 「本当に強いのは女性なのかもしれません。だから神様は、女性から腕力を取り上げたんじゃないかしら。男性のダメな部分を一方的に指摘して「強くなれ」と言うんじゃなくて、頼り、頼られ、補い合って生きていきたいな。そんな関係に憧れます。」

 この文章を読むだけで、慰められたり励まされると感じる男性は多いのではないだろうか。

 日本の男性の多くは、「男たるもの強くあれ。弱音を吐いたり泣くのは恥だ」と言われて育てられてきた。その背後にあったのは、戦前は農村社会での家父長制、戦後は男性正社員の終身雇用・年功序列制であった。

 しかし、これらは今では過去のものとなっている。給料は下がり、会社では上からも下からも、女性社員からも冷たくあしらわれ、リストラに怯えながら早朝から深夜までくたくたになって働いているのに、家では居場所がない、という人は少なくないだろう。中高年であることは今や尊敬の対象ではなく、「役に立たない」「給料だけが高い」、果ては「ダサい」「臭い」など否定的イメージの方が強い。

 その結果、男性、とりわけ中高年男性は、今や自己のアイデンティティを維持するのが難しくなっていると思う。
 自殺が男性、とりわけ働き盛りの年齢の男性に多いことは、そのことと関係があるのではないだろうか。
 その意味で、現代は「男性受難の時代」ではないかと思うのである。

 そんな男性たちにとって、温かい眼差しで送ってくれる安さんのエールは、「神様、仏様、観音様、マリア様」〈?)の天からの励ましのように感じられるのではないだろうか。

 〈以下、続く)

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2011年4月 4日 (月)

No.9 「花見の回数券」

 また、桜の季節が巡ってきた。
羽二重餅のようにふっくらとしたやわらかい白に、少し上気したように、かすかにピンクがかっている。
この気高さ、上品さはどうだろう。1615daigosa93

この花は、年度始めの入学式の時期に、必ず咲く。
小学校・中学校から高校・大学まで、入学の思い出は、桜と重なっている人が多いのではないだろうか。

しかも、この花がすごいのは、つぼみから三分、五分、七分、満開、散り始め、桜吹雪、葉桜と、その時々の趣きがまったく異なることであろう。こんな花が、他にあるだろうか。

毎年、家族や職場の人たちが一緒に「花見」に出かけたり、菊と並んで「国花」と扱われているのは、日本人の心情によく合っているからだろう。

 ところで、1981年に結成された大阪過労死問題連絡会の創立メンバーの一人で、過労死弁護団全国連絡会議の代表幹事の一人である松丸正弁護士は、象徴的な言葉を選び出す能力に秀でている。

そんな松丸弁護士の言葉で私の好きなもののひとつに、「花見の回数券」というのがある。
曰く、「人生というのは、70~80枚くらいの「花見の回数券」を毎年1枚ずつ使っていくようなもの。ところが、過労死するということは、まだたくさん残っていたはずの回数券が、ある日気づいたら全部なくなっていたというようなものだ。だから過労死は悲しい。」

私自身は、あと何枚回数券が残っているのだろうか。
毎年、桜の花が咲く季節になると、私は松丸弁護士のこの「花見の回数券」の話を思い出すのである。

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