No.39 最後の「宵々山コンサート」(その2)
体から炎が吹き出るのではないかと思うほどに照りつける日差し(「陽射し」の字の方が適切だろう)はきつかったが、太陽が野外音楽堂の屋根に入ると日陰になり、涼しげな風が吹いてくる。
続いて、日が沈むと少しずつ薄暗くなり、ステージが幻想的に浮き上がる。
このころから、宵々山コンサートは後半のクライマックスに向かっていく。
◆笠木透さんの「日本国憲法104条」という詩は、とても気に入った。
日本国憲法104条
「人間はたとえ
自分にとってよいことでも
家族にとってよいことでも
会社にとってよいことでも
国家にとってよいことでも
地球にとってよくないことは
してはいけない」
法律家としては、これを本当に憲法の条文らしくするにはどうしたらいいだろうか、なんて考えてしまう(ちなみに、現行憲法は103条までしかない)。
これは1998年のアルバムに入っているようで、もちろん福島原発事故のはるか前である。先の「腰まで泥まみれ」という曲もそうだが、いい言葉や曲は時代を超えるのだろう。
◆北山修さんは、高石ともやさんと「あなたとはペースが合わない。あなたは僕の話を聞いていない」などと掛け合いをして会場を笑わせたあと、亡くなった加藤和彦さんを偲びながら「あの素晴しい愛をもう一度」を二人で歌ってくれた。これも「宵々山」に相応しいと思った。
◆もちろん、高石ともやさんと元ナターシャー・セブンのメンバーの歌と演奏も素晴しかった。ギター、バンジョー、マンドリンなどの楽器の演奏の華麗さには唸るばかりである。
◆閉演間際になって、浴衣姿の有森裕子さん、真っ赤な衣装の中島啓江さんが登場。それよりも会場を驚かせたのは、息子の桂小米朝さんに車イスを押された桂米朝さんの登場だった。
フィナーレでロウソクの火を順に灯していくのはこれまでと同じだが、終了後、観客が全員舞台に登壇し、舞台の裏から外に退場していくというのは、とてもニクい演出だった。
ステージの上で、妻は有森裕子さん、私はおばあちゃん(妻の母)が熱烈なファンである道上洋三さんのところに行き、おばあちゃんのためにと言って写真を撮らせてもらった。
出演者も参加者も、みんなが名残りを惜しんでいるのがひしひしと伝わってくる。
「だけど、いつか再会するためには別れないといけない。別れは始まりだ」と出演者の誰かが言った。
東日本大震災の後、これまでの「自己責任と消費の時代」から、「連帯と低エネルギーの時代」に移ったといわれる。まさにそんな時に、このような手作りコンサートがなくなるのは、本当に寂しい。
でも、中心になってきた60年代、70年代フォークの世代の人たちは、もうみんな60代、70代になっている。「そろそろ、自分たちは区切りをつけたい。次の人たちが続けてくれるなら、僕たちはやれる手伝いはするから」という気持ちになるのも、自然だし、ある意味で必要でもあるだろう。
38年間にわたり、30回のコンサートをやり切った皆さんに、心から敬意と感謝を申し上げたい気持ちである。
30回にわたる素晴しいコンサート、本当にお疲れさまでした。
そして、ありがとうございました。
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コメント
この記事へのコメントは終了しました。
はじめまして。僕はある大学の落研部員です。偶然この時の動画を拝見して僕も米朝師匠の登場に驚きました。とても羨ましいです。因みに息子さんは「米團治」を襲名されています。
投稿: archive | 2012年2月26日 (日) 21時55分
◆archive 様
コメントありがとうございました。
落研の皆さんにとっては、やはり米朝さんというのは、神様みたいな存在なのですね。
米朝さんの長寿と、archive 様のご活躍をお祈りします。
投稿: 岩城 穣 | 2012年2月27日 (月) 16時55分