No.40 大関魁皇の引退を惜しむ
大相撲の今年の名古屋場所は、大関日馬冨士が横綱白鵬の8連覇を阻止し、2度目の優勝を果たして終了した。
不祥事明けの場所であったためか千秋楽に至ってようやく満員御礼となったのも寂しかったが、それ以上に寂しかったのは、大関魁皇が10日目終了後に引退を表明したことである。
私が魁皇関に勝手に親近感を覚えているのは、次のような理由からである。
第1に、魁皇の初土俵は1988年(昭和63年)春場所で、私の弁護士登録と同じ年なのである。それにしても、魁皇の力士の同期は若貴兄弟と曙というから、どれだけ長い間土俵を務めていたがわかる。
第2に、その成績がすごい。通算勝ち星1047、幕内在位場所数107、幕内出場回数1444、幕内勝ち星879はすべて歴代1位である。年6場所で15日間で年に90回しか相撲を取れないのだから、本当に長い間活躍し続けなければ残せない数字である。
第3に、現時点では唯一の日本人大関ということである。外国人力士も味があるし、横綱白鵬などは風格の点でもすばらしいが、やはり日本の国技という以上、上位陣に日本人の活躍が見たい。次に横綱・大関に日本人の名前が出るのはいつになるだろうか。
第4に、人間的に親しみを感じるということである。個人的に魁皇関を知っているわけではないが、かつての北の湖や千代の富士のように「憎たらしいほど強い」という感じでもなく、優勝とカド番を何度も繰り返し、最後まで横綱になれなかったのも、どこか人間らしい。にっこり笑う笑顔に、人の良さが表れているのではないかと、勝手に思っているのである。
第5に、私は大相撲はテレビでしか観ないが、一度だけ大阪府立体育館に観に行ったことがあった(1999年3月23日)。生で観る大相撲の迫力はすごかった。立ち会いで激突する時、重い体が激突する「ズシーン」という音と、汗で濡れている皮膚がぶつかる「パーン」という音が同時に出るのである。この時、控室への通路で魁皇関を至近距離で見ることができて、とても嬉しかった。
今から思えば、ここ数年は年齢や体力の衰え、腰痛の持病との闘いだったのではないか。
そして、そんな魁皇関にとって、例の八百長メール問題で本場所が2回中止となった(3月場所は中止、5月場所は「技量審査場所」として開催された)ことは辛かっただろうし、中止されていなければ記録も変わっていたのではないだろうか。
引退の会見で、「最高の相撲人生だった。悔いも後悔も一切ない」と話したそうである。
私も、そんな人生が送れたらと思う。
魁皇関の長年の土俵勤めに心から敬意を表するとともに、今後の新たな相撲人生を応援したい。
◆追記 この記事は、日本ブログ村の弁護士人気ランキングで、7月25日~27日にかけて1位となりました。
大した文章でもないのですが、光栄です。
お読み下さった皆様、ありがとうございます。
♪ここまで読んで下さった方は・・・ワンクリックしていただけたら嬉しいです

にほんブログ村
« No.39 最後の「宵々山コンサート」(その2) | トップページ | No.41 「墓参り」と日本人 »
「5-7 スポーツ」カテゴリの記事
- No.167 ソチ冬季オリンピックに思ったこと(2014.02.23)
- No.147 悲願と宿命の一戦に感無量──2013年日本シリーズ第6戦を観て(2013.11.03)
- No.130 「尾藤監督2世」率いる箕島高校の闘いぶりに注目!(2013.08.01)
- No.84 オリンピックと「地球市民」(2012.08.01)
- No.40 大関魁皇の引退を惜しむ(2011.07.25)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント