No.41 「墓参り」と日本人
お盆や年末年始、春・秋のお彼岸には帰省して、お墓参りをする人が多いと思う。
先祖のお墓に手を合わせて、人々は心の中で何をつぶやくのであろうか。
先に旅立った肉親への追慕だろうか。
今こうして生きていることについての、先祖への感謝の言葉だろうか。
それとも、今抱えている苦悩や不安についての、今は亡き両親との対話だろうか。
たぶん、人それぞれ違うのだろう。
私は信心深いほうではないが、それでも、生まれ育った懐かしい故郷に戻り、お墓の前で手を合わせると、今は亡き父や母のことが思い出され、また、はるか先祖から自分に続き、そして自分から子孫に続いていく悠久の流れのようなものを感じ、何か厳粛な気持ちになる。
しかし、このような「墓参り」の習慣は今、衰退しつつあるのではないだろうか。
自分の先祖の「お墓」が存在し、現世代がこれに「お参り」をするという積極的な行動が習慣として続けられるには、次のような条件が必要である。
①先祖が何世代にもわたってその地域(多くは地方の農村)で暮らしてきた歴史があること。
②墓の近くに「実家」があり後継者(多くは長兄や長男)が生活していること。
③その後継者が墓の管理を続けていること。
ところが、この条件が大きく崩れてきていると思うのである。
①高度成長期以降、若者が都会に出て就職することが多くなり、後継ぎがいないまま親が亡くなったり施設に入所するなどして、「実家」が消滅するケースが増えている。
②都会に出てきた世代とその次の世代くらいまでは、お盆や年末年始は帰省して墓参りをしなければならないという意識があるが、それ以降の世代になるとそのような意識がなくなってくる。
③帰省や墓参りをしたいと思っても、遠すぎる、忙しすぎるなどの理由で帰省できない人が増えている。
④祖先や親を大切にするという儒教思想が衰退し、生まれてくるのも死んでいくのも自分だけという、個人主義的な考え方が広がってきている。
⑤経済的理由から、お墓が買えないとか管理できないという人も増えてきている。
これらの事情は、一つだけというのではなく、複合し、相乗しあっているのではないだろうか。
そして、最近は
・田舎にあるお墓の管理や供養を、業者に依頼する
・近くの「マンション型墓所」にお骨を納骨する
・自分が亡くなった後のお骨は、自分の希望する海や川に「散骨」してほしいと家族に頼む
といったケースも増えてきているようだ。
大きな流れとしては仕方がないのかもしれないが、日本人の「心のふるさと」も一緒に失われていくようで、寂しい気持ちになるのは私だけだろうか。
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コメント
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岩城さんがブログをされていることを,今日届いた「いずみ」で知りました。元気でお過ごしのようですね,また弁護士活動でもご活躍の様子,何よりです。お気に入り登録しました。
投稿: あさ一番 | 2011年8月 4日 (木) 15時32分
◆あさ一番 様
お礼が遅くなりましたが、コメントありがとうございました。
ブログを拝見しました。大変活発にいろんなことをなされているのですね。
ただ、ブログにはお名前が出ていませんので、どなたかわかりませんでした。
よろしければ、個別メールでも結構ですので、教えていただけたら嬉しいです。
投稿: 岩城 穣 | 2011年8月11日 (木) 15時13分