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2011年8月の3件の記事

2011年8月29日 (月)

No.44 手足が取れてしまったカニ

110829  今年も8月の終わりが近づいてきた。この頃になると思い出すことがある。
 小学校4、5年のころだっただろうか。

 当時は、ほとんど毎年7月24日ころから8月31日まで夏休みであり、その間4、5日の「登校日」を除けば、毎日毎日休みの連続だった。
 近くの神社にあった広場で早朝ラジオ体操があり、また午後からは小学校のプールに毎日のように行っていたが、それ以外は、現在のように塾もなく、遊び呆けていたというのが正しい。
 またTVゲームやパソコンゲームもないので、家の中で遊ぶということはあまりなく、ほとんどは外で遊んでいた。

 そんな私たち子どもにとって、夏休みの宿題というのは、本当にうっとうしい存在であった。
 もっとも、宿題といっても、①「夏の友」という書き込み式の課題用冊子、②読書感想文、③工作の3つくらいだった。
 ①の「夏の友」は、比較的簡単なものであり、その気になれば一気にやれた。
 ②の読書感想文は、何を書いたかよく覚えていないが、適当にお茶を濁したのだろう。

 私の悩みの種は、いつも③の工作であった。
(1) そもそも、何を作るかが悩ましい。
(2) 目標を決めてから、完成までの段取り(材料の用意、準備、製作)を決めなくてはならない。
(3) 実際の製作作業は、相当根をつめて作業しなければならない。

 それだけに、早くから準備を始めればよいのに、この年の私は、やりたくない工作のことを「考えないように」して先送りし続け、最後に尻に火がついて着手したのは、8月31日の夕方ころからだった。

 しかも、もう時間がないのだから、簡単なものをアリバイ的に作ればよいのに、考え始めると「凝り性」の私は、何と「紙粘土でカニを作る」という、最悪の選択をしてしまったのである。
 当時、田舎の川や池で魚取りなどをしていて、大きな石を持ち上げたりすると、隠れていた大きなカニが見つかることがたまにあり、戦車のように渋くて、メカニックでとてもカッコいいと思っていたのである。

110829crabb1 しかし、紙粘土でカニを作るというのは、簡単ではない。割り箸と針金か何かで、紙粘土の中に入れる骨組みを作るのだが、当然のことながらカニには手が2本、足が8本もあり、骨組みを作ることに苦心惨憺であった。
 そして、骨組みを巻き込むようにして紙粘土をくっつけていき、胴体や手足を作る作業に入ったのは、もう日付が変わるくらいの時間になっていた。

 なかなか思うように進まないところに、子どもだから目茶苦茶眠い(昔は午後9時とか10時ころには子どもは寝ていたのではないか)。明日までに間に合うのか。できなかったらどうなるか‥‥。
 眠さと不安で泣けてきた。そこに、仕方なく手伝ってくれていた母親が、「だから早くからやりなさいと、あれほど言ってたのに、お前は‥‥」と、追い打ちをかけるように小言を言う。
 そんな自分が悲しくて、更に泣いた。
 何とか作り上げて眠ったのは、もう何時になっていただろうか。

 ところが、本当の悲しみは、翌朝に訪れた。
 作った工作を見ると、恐らく紙粘土が乾燥したために、手足が全部取れてしまっていたのである。
 また私は泣いた。

 登校した生徒たちは、夏休みの工作を教室の後ろにズラッと並べる。
 私の作ったカニは、手足が全部取れた状態で、悲しげに並んでいた。

 そこで、子どもなりに得た教訓は‥‥
①課題の準備は、先送りにしないで、早くから始めること。
②状況に合わせて作成し、必要以上に凝らないこと。

 ところで、弁護士の仕事も、次回の期日や打合せまでに1か月くらいあり、夏休みの宿題に似ている。
 カニの手足が取れても誰にも迷惑はかけないが、弁護士の仕事の場合は、依頼者や裁判官、弁護団などの関係者に迷惑がかかる。
 それだけに、カニの教訓を生かして、いつも段取りを考えるようにしているが、恐らく性分であろう、なかなか思うようにいかないのである。

 ※イラスト(上) 「Hiro式無料イラスト素材工房」からいただきました。
       (下) 「カニのイラスト素材画像集」からいただきました。
    ありがとうございました。

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2011年8月24日 (水)

No.43 障害者への配慮は「温情」、廃止は「自由」か

◆Aさんの中途障害

110823  Aさん(43歳)は、1992年に阪神電鉄に入社し、バス事業部門で一貫して勤務してきたベテラン運転手である。
 ところが、1997年に受けた「腰椎椎間板ヘルニア」の手術の後遺症で「神経因性膀胱直腸障害」で「排尿・排便異常」の身体障害が残った。この障害は、排尿や排便を自分の意思でコントロールすることができず、下剤を服用するなどして数時間をかけて強制的に排便するなどが必要なものである(なお、現時点では、排尿については勤務に支障のない程度に回復している)。

◆「勤務配慮」による安定した勤務

 当時阪神電鉄には「勤務配慮」という制度があった。これは、心身の状況や家庭の事情等によって、決められた労働条件に従って勤務するのが困難な労働者について、本人からの申し出を受けて個別協議を行い、勤務に支障が生じないように必要な配慮を行う制度である。
 Aさんはこの制度を利用して協議を行い、①乗務は午後からとする、②時間外労働は避ける、③前日の勤務終了から翌日の勤務開始までの間隔を14時間、最短でも12時間以上空けることとする、という「勤務配慮」を受けてきた。

◆バス事業の分社・統合と「勤務配慮」制度の廃止

 ところが、2009年、バス事業部門が分社化され、従前からあった阪神バスに統合されたが、その際、阪神電鉄・同社労組、阪神バス・同社労組の「4者協議に関する合意書」で、「勤務配慮は原則として認めない」とされた。
 Aさんは2009年4月に阪神バスに移籍したが、勤務配慮はしばらく続けられたものの、2011年1月から「勤務配慮を廃止して、通常の勤務シフトで勤務させる」と一方的に通告され、実行された。
 その結果、Aさんは勤務時間に合わせた排便コントロールが全くできなくなり、2010年1月~12月の1年間で当日欠勤(欠勤扱い)は0回、当日欠勤(年休扱い)は4回しかなかったのに、2011年1月だけで当日欠勤(欠勤扱い)3回、2月は6回、3月は8回に及ぶことになった。このままでは解雇されたり退職せざるを得なくなるとは明らかである。
 Aさんは、通常シフト(ローテーション)での勤務を行う義務のないことの確認を求める仮処分命令申立を行ったが、会社は「勤務配慮は温情的措置にすぎず、労働条件ではない」「勤務配慮を無制限に続けることは、乗務員間の公平感を損ない、ひいてはバス事業の正常な運営に支障を来す」と主張して争ったため、仮処分事件は来年3月まで勤務配慮を延長することで和解し、訴訟によって解決することとなった。

◆障害者権利条約を中心とする世界と日本の流れ

 身体・精神に長期的な障害がある人への差別撤廃・社会参加促進のため、障害者権利条約が2006年に国連総会で採択された。そこでは、障害に基づく差別を、①直接差別、②間接差別、③合理的配慮の欠如の3類型として禁止している。
 2011年3月現在の批准国は99か国である。日本はまだ批准していないが、2007年9月に署名し、現在国内法を整備して批准に向けた準備が進められている段階である。
 また、仮に条約の批准前であっても、日本国憲法14条1項は「法の下の平等」を定め、あらゆる差別を禁止しているのだから、既に国際的に承認されている上記のような差別類型は、日本国憲法も禁止していると解すべきである。

◆「勤務配慮」の一方的廃止は障害者に対する差別にあたる

1108222  本件における「勤務配慮」は、結果として上記の「合理的配慮」に当たるものであり、これを廃止することは、障害者権利条約が禁止している差別に該当することは明らかである。
 障害者権利条約を批准しても、実際にそれが多くの民間企業で実現されなければ意味がない。その意味で、大企業は率先して合理的配慮を行っていくべきであるのに、この会社は、逆に、これまでの「勤務配慮」を廃止しようとしているのだから、企業の社会的責任(CSR)の見地からいっても、言語道断といわなければならない。
 会社は、乗務員間の不公平感をいうが、阪神バスには370人もの運転手が在籍し、Aさんへの勤務配慮を続けることは、決して困難ではないし、多くの運転手の人たちは、Aさんの事情を知れば、不公平感を持つことはないのではなかろうか。
 そして、そのような啓発活動こそ、会社が行っていくべきではないのか。

◆障害は、社会との関係で障害となる

 世界保健機構(WHO)は1981年の国際障害者年に際し、障害を3つの段階で定義している。

  ①impairment(機能的、形態的な身体障害)
  ②disability(能力的障害)
  ③handicap(社会的不利)

 これは、視覚障害を例に取ると、視神経に機能的に問題がある場合が「impairment(機能的障害)」。それが視力に影響を及ぼし、近視や視野変状になった場合が「disability(能力的障害)」。それによって社会生活に支障が起きるほどであった場合が「handicap(社会的障害)」である。
 ①の「impairment(機能的障害)」があっても、「道具」(眼鏡やパソコン画面の拡大など)によって②の「disability(能力的障害)」はカバーされうるし、②があっても、社会がそれを「道具」や「仕組み」によって補えば、③の「handicap(社会的障害)」とならなくて済むのである。
 つまり、機能・能力障害は、社会の配慮との相関関係で「社会的障害」となるのである。

 そもそも、視力をはじめ、誰でも能力において平均より劣る点があり、結局は程度の差である。そう考えると、①・②の障害は、ある意味でその人の「個性」といえる。
 そんな人たちに対して、できるだけ社会の側が配慮して、その障害が③の社会的障害にならないようにしようというのが、障害者の権利の歴史であった。
 だから、障害者が安心して働ける・生きられる社会は、障害を持つに至っていない健常者にとっても働きやすい・生きやすい社会なのである。

 それゆえに、阪神バスのように、障害者と健常者を対立的にとらえることは誤っている。
 Aさんの提訴は、決してAさんだけのためではない。障害を持ちながらも、また障害を持つようになっても、安心して働けることを願う、すべての人々のためでもあるのである。

◆多くの皆さんのご支援を

 8月26日(金)午前10時30分に、神戸地裁尼崎支部に、訴訟を提起することになった。
 この提訴の動きは、朝日新聞(2011年8月22日夕刊)に大きく報道された。
 Aさんのように、働き続けながら会社と裁判をすることは、大変なことである。
 皆さんの注目と支援をお願いしたい。
         (なお、弁護団は、中西基、立野嘉英弁護士と私である。)

 写真上‥阪神バス(ウィキペディアより)
 写真下‥朝日新聞記事(クリックすると拡大)

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2011年8月10日 (水)

No.42 小豆島での熱き3日間~働き方ネット大阪 事務局合宿~

 8月7日~9日まで(2泊3日)、働き方ネット大阪の事務局の合宿を、小豆島の長浜というところにある、森岡孝二先生(働き方ネット大阪・会長、関西大学教授)の別荘(古い民家を購入したもの。特に名前はないが、「森岡荘」と呼びたい)で行った。
 参加者は会長の森岡先生、事務局長の私、副会長の服部信一郎、柏原英人両名のほか、事務局員4名の8名。いずれも、大阪の労働界では知る人ぞ知る(?)錚々たるメンバーである。
 この合宿は昨年に続いて2回目。もう、働き方ネット大阪の夏の定番イベントといえるかもしれない。

1108_19◆1日目(8月7日)は、正午に千里中央駅に集合し、車2台に分乗して神戸港へ。午後2時発のジャンボフェリーに乗船。畳敷きの船室スペースで、前半で早や討論が始まったかに見えたが、後半は全員がお昼寝‥‥(笑)。船は明石大橋の下を通り、午後5時10分に坂手港に到着。
 「オリーブ園」に少しだけ立ち寄ってから(もう土産店は閉店した後だった)、土庄の「オリーブ温泉」へ。穏やかな瀬戸の内海に浮かぶ島々を見ながらの露天風呂は最高である。
 温泉の食事処で夕食。「醤油豆」「甘海老の唐揚げ」などを肴に飲む、ビールと冷酒が心地よく染み渡る(ただし車を運転してくれるお二人はアルコールはお預け。申し訳ない)。
 その後スーパーで買い出しをした後「森岡荘」へ。掃除等を終え、一息ついてから、お預けさせられていた2人も加わって、深夜まで飲み直して盛り上がったことはいうまでもない。

◆2日目(8月8日)は、朝食後、午前9時~12時まで、「日本社会の変革と働き方ネットの役割」をテーマに大討論。本来はこれがメインなのである。
 2006年9月の結成から丸5年になろうとしている働き方ネットの到達点と課題、非正規問題をめぐる近時の立法・行政の動向、過労死防止法制定の取り組みの紹介と意見交換、大阪での労働政策と秋の府知事・大阪市長選の状況、今後の「つどい」(例会)のテーマなど、議論の内容は多岐にわたり、大変充実したものであった。

1108_6 昼食は森岡先生とKさんが心をこめてゆでてくれた「そうめん」。腰のある麺を、冷たい氷水をくぐらせ、おろしショウガをたっぷり入れたダシ醤油につけていただく。爽快とは、このような食感を言うのであろう。

 お腹が大きくなった後は、車で分乗して、「肥土山農村歌舞伎舞台」を観に行く。小豆島では昔から現在まで、村民たち自身が「歌舞伎」を文化行事として行ってきた伝統があるとのこと。
1108_7 続いて「中山農村歌舞伎舞台」の近くにある「こまめ食堂」に立ち寄る。鮮やかな緑一色の棚田を見渡す、すばらしいロケーションである。皆はアイスクリーム等を注文したが、私だけは、特別にお願いして作ってもらったおつまみでビールを一杯。至福のひとときであった。
 この時も、皆さんから、過労死防止法制定運動への助言をたくさん聞けた。本当にありがたい。
1108_17 「エンジェルロード」(干潮の時には島と地続きになる通路が現れ、満潮の時には水没する)に少し立ち寄る(この時は水没した後だった)などしてから、森岡荘へ戻る。この途中で、思わず車を停めてもらって見た日暮れの景色は、なぜかとても柔らかく、幻想的だった。

11082_2  バーベキューは合宿のメインイベントである。おいしいお肉や魚に舌鼓を打ちながら、自由闊達、縦横無尽といえば聞こえはいいが、要は思いつくまま、成り行きまかせで延々議論・討論をするのである。もちろん簡単に結論が出ない問題ばかりだが、みんな実によく状況を知っているし、考えている。

 このままでは酔いどれて終わってしまいそうなころから、近くの波止場まで歩いて行って、何と夜釣りの始まり。
 ほろ酔いでの夜釣りも楽しい。とはいえ、森岡先生が竿から餌から全部セットしてくれて、参加者はボーッと糸を垂れているだけでいいのだから、極楽である。
 それでも、次々と釣果が上がる。水面のウキがググッと引き込まれ、続いて釣り竿の糸が引っ張られる手応えがある。この感覚が釣りの醍醐味なのだろう。
 とはいえ、今年は最後の最後まで私だけが「ボウズ」で、諦めて帰ろうとした瞬間、力強い引きがあった。もちろん嬉しかったが、「あと30秒我慢したら、釣られなくて済んだのに」と、釣られたメバルに少し同情した。

 すごいのは、この釣った魚(10匹くらいだろうか)を即時に煮魚にして、また飲むのである。
 もちろん、釣ったばかりの魚なので美味しいし、釣り上げた時の楽しい話をしながら飲むのだから、楽しさも倍増である。
 そして、またしても大討論が続くのである。

 このようにして、「濃い」2日目が終わった。

◆3日目(8月9日)は、この3日間で一番暑かった。午前9時半までに森岡荘を完全に片づけて、フェリーが出発するまでの間、最後の島内観光とドライブへ。

1108_15  「尾崎放哉記念館」に行ったが、はずかしながら尾崎放哉(ほうさい、1885(明治18)~1926(大正15))という自由律俳句俳人のことは、これまで知らなかった。「咳をしても一人」「障子あけて置く 海も暮れ切る」など、季語や「5・7・5」から解放された俳句には、独特の魅力がある。
 エンジェルロード(今度は完全に干上がっていた)とオリーブ園(今度は土産店が開いている時間帯だった)にもう一度行き、昼食はうどん店で、私はとろろぶっかけうどんをいただいたが、腰があって本当においしかった。
 そして、午後2時、大部(おおべ)港から岡山の日生(ひなせ)港に向かうフェリーに乗船。

 このようにして、今年の小豆島合宿が無事終わった。
 昨年は、「二十四の瞳」関連の観光地を回って感動したが、今年はまた別の感動、感慨があった。この小豆島のやわらかさ、やさしさがクセになりそうである。
 体調が悪いにもかかわらずホスト精神に徹して下さった森岡先生に、心から感謝したい。11081_2
 また、一方では少年少女に戻って一緒に夏休みを楽しみ、他方では最新の情勢を踏まえて熱い議論を交わし合ってくれた参加者の皆さん、本当にありがとうございました。

 この合宿を踏まえた、これからの働き方ネット大阪の活動に、大いにご期待下さい。

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