No.58 凍てつく夜に思う
先週あたりから、日本を「最恐寒波」が襲っているそうだ。連日、ほぼ全国で最低気温が氷点下になっている。一昨日のテレビでは、愛媛県の松山市で、道路が凍結して歩行者や自転車があちこちで滑って転倒している様子が報じられていた。
屋外を歩くと、風が顔にチクチク刺す感じがする。歩いているだけなのに手袋がほしくなる。この感覚で、2つのことを思い出した。
一つは、この風の感触は「スキー場を吹く風」に近いということ。そういえば、もう10年以上スキーに行っていない。
もう一つは、小学生の頃の新聞配達。私は確か小学5年の冬から中学1年ころまで、朝夕の新聞配達(100軒くらい)をしていた(更に、当時は戸別配達があったヤクルトも配達していた)。当時はなぜか子どもたちの間で新聞配達が結構流行っていて、山田太郎という歌手の「朝刊太郎」という曲まであった。
♪僕のアダナを知ってるかい 朝刊太郎というんだぜ
新聞配ってもう三月 雨や嵐にゃ慣れたけど
やっぱり夜明けは 眠たいなァ
というような歌詞だった(年配の方は、今でも歌えるのではないだろうか)。
私の実家は和歌山県の紀ノ川沿線の打田町という小さな町だったが、そんな南の町でも、冬は水道が凍って蛇口から水が出なくなり、軒先から氷柱(つらら)が下がり、池や水溜まりは凍り、稲刈り後の田んぼには高さ数センチの霜柱が立っていた。そんな中を自転車で走ると寒風が顔に突き刺さる。手袋をして、防寒帽をかぶっても、手や耳に霜焼けができた。
だから、冬の新聞配達は、やはりつらかった。
あのころは、やはり今よりも気温が低かったのだろう。もし、地球温暖化がそんな形で進んでいるのであれば、たまにはこんな厳冬があると、ちょっと安心な感じもする。
とはいえ、大阪でもこれだけ寒いのだから、東北や北海道では大変だろう。特に、東日本大震災の被災地のことを思うと、心が痛む。
何もできないが、暖かい気持ちだけは送り続けたいと思う。
ちなみに、あんなにつらい思いをした新聞配達の給料(多い月は3000円以上あった)の大部分は、当時流行っていた記念切手の購入にあてた。
その切手たちは、今でも残っている。
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私も、新聞配達をしたことがあります(笑)。
中小企業経営者の娘であった私は、幼いころから自立心が旺盛で、アルバイトをしたいと言っても決して両親が許さず、新聞配達なら良いと母が言ったのでした。
お嬢さんで育った私に母はできる訳はないとたかを括っていたのでしょう。岡山では最大の地方紙である山陽新聞の新聞配達に申し込んだときに、その販売店の所長から、
「もう何十年も会社で朝刊と夕刊を取って頂いていて、本当に久保さんのお嬢さんが新聞配達をして良いとご両親は仰ったんですか?」
と言われたのです。
それから、毎朝午前5時に起きて山陽新聞の朝刊の配達をしていたのであるが、その時が15歳である。日本経済新聞を配っているイケメンの2~3歳上の彼と言葉を交わすのが嬉しくて、淡い恋心でした(笑)。岡山駅前周辺を配っていましたので、最終が岡山駅前の薬局でしたが、当時の私は結構とんがっていたのでダメージジーンズを履き、新聞を配っていたら、その薬局の女店主は、貧しいところの子であると思い込んでいたようで、いつも、「お疲れさま、偉いね。」と言って、試供品のハンドクリーム等をくれたのでした。
幼心に、人は温かいなと思いました。
ほんの数箇月でしたが、新聞配達をしたのは良い経験となりました。両親も偉かったと思います。良い教育をしてくれたと思います。好奇心溢れる年頃に、アルバイトをしたいという思いを「新聞配達なら良い」と言ったのは、凄かったと思っています。
絶対に、しないと思っていたのでしょう(笑)。
人の心を想うことを、両親が植え付けてくれたからこそ、現在の紙業者としての自分があると思っています。
投稿: 久保利子 | 2012年2月 5日 (日) 03時18分