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2012年5月 7日 (月)

No.72 兄弟3人で高校時代の恩師と会う

 4月30日、墓参りで和歌山県紀ノ川市に帰郷したが、その際珍しく兄弟3人が揃うことになったので、「せっかくだから小倉ヒロ子先生に会いに行こう」ということになった。

 私たち3人兄弟はすべて和歌山県立那賀高校の出身で、兄は昭和48年、私は昭和50年、弟は昭和52年の卒業である。
 小倉先生には、兄と私は数学を習っただけであったが、弟は何と3年間も担任を受け持ってもらい、「切っても切れない縁」になってしまったのである。
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 小倉先生は生徒にとても厳しく、いつも辛口の批評や嫌味を言ったり、授業中私語をしているとチョークが飛んでくるなど、とても恐い先生だったが、生徒たちは決して小倉先生を嫌ってはいなかった。
 私も、自分の結婚式には、担任の阪口巖先生とともに、小倉先生にも来ていただいた。

 小倉先生は現在、紀ノ川市内の老人保健施設に入所されており、私たち3人が面会に行くと、本当に喜んでくれた。
 聞くところでは最近少し記憶が頼りなくなってきているとのことだったが、そのような感じは受けなかった。
 二回りくらい小さくなったように感じられ、またメガネをかけていないため、昔の雰囲気と違ってはいたが、「裕(弟のこと)のことは時々思い出すけど、アンタ(私のこと)はあんまり思い出さん」など、辛口の嫌味は健在(?)だった。

 お話の中で、当時ライバルだった隣の粉河高校理数科との進学競争のことや、どの生徒をどのクラスに振り分けるかの裏話など、実に鮮明に覚えておられ話してくれた。
 また、兄が高1で私や弟がまだ中学生以下のころ、紀伊中之島の駅で岩城家5人(両親と兄弟3人)でばったり会い、一緒に喫茶店に行った際、私と弟を指して「そのうちこのコマイの(小さいの)が那高に入ってくるんやろなあ」と話したことなど、初めて聞く話も懐かしく話して下さった。両親とも既に亡くなった今、そんな話を聞けたのは嬉しかった。

 私たちが帰ろうとすると、小倉先生はエレベーターに乗って1階まで送ると言ってくれたが、思うように歩けないのでヘルパーの方に止められ、エレベーター前で別れた。
 小倉先生の、ご健康と長寿を願いながら、帰路についた。


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