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2012年12月27日 (木)

No.101 「幸福な王子」に号泣──小学生のころ

 弁護士になって25年経った今でも、ふと思い出す童話がある。
 なぜ、あんなに泣いたのかわからない。涙と嗚咽が止まらないことに自分でも驚いていた。小学校4,5年生のころ、オスカー・ワイルドの童話「幸福な王子」(私が読んだ本は「幸福の王子」というタイトルだったような気がする。)を読んだ時のことである。
 ストーリーは、おおよそ次のようなものだった。

 ある街の柱の上に自我を持った幸福な王子の像が立っていた。両目には青いサファイア、腰の剣の装飾には真っ赤なルビーが輝き、体は金箔に包まれていて、心臓は鉛で作られていた。とても美しい王子は街の人々の自慢だった。 121227happy_prince_2


 渡り鳥であるが故にエジプトに旅に出ようとしていたツバメが寝床を探し、王子の像の足元で寝ようとすると突然上から大粒の涙が降ってくる。
 王子はこの場所から見える不幸な人々に自分の宝石をあげてきて欲しいとツバメに頼む。
 ツバメは言われた通り王子の剣の装飾に使われていたルビーを病気の子供がいる貧しい母親に、両目のサファイアを飢えた若い劇作家と幼いマッチ売りの少女に持っていく。エジプトに渡る事を中止し、街に残る事を決意したツバメは街中を飛び回り、両目をなくし目の見えなくなった王子に色々な話を聞かせる。王子はツバメの話を聞き、まだたくさんの不幸な人々に自分の体の金箔を剥がし分け与えて欲しいと頼む。

 やがて冬が訪れ、王子はみすぼらしい姿になり、南の国へ渡り損ねたツバメも次第に弱っていく。 死を悟ったツバメは最後の力を振り絞って飛び上がり王子にキスをして彼の足元で力尽きる。その瞬間、王子の鉛の心臓は音を立て二つに割れてしまった。
 みすぼらしい姿になった王子の像は心無い人々によって柱から取り外され、溶鉱炉で溶かされたが鉛の心臓だけは溶けず、ツバメと一緒にゴミ溜めに捨てられた。

 時を同じく天国では、下界の様子を見ていた神が天使に「この街で最も尊きものを二つ持ってきなさい」と命じ、天使はゴミ溜めに捨てられた王子の鉛の心臓と死んだツバメを持ってくる。神は天使を褒め、そして王子とツバメは楽園で永遠に幸福になった。
(ウィキペディアより転載。画像は、ウォルター・クレインによる挿絵)

 貧しい人、困っている人のために、自分にとってかけがえのないものを次々と与えていく。ついには、その世界を見るための目までも・・・。ツバメも、生きるための越冬の旅を断念して王子のもとに残る決心をし、王子の目の代わりと届け手を続け、最後には王子に寄り添って死んでいく。

 これほど悲しい自己犠牲、利他行為がほかにあるだろうか。最後の、みすぼらしくなった王子の像が焼かれた後に、鉛の心臓だけが溶けずに残り、ツバメの遺体と一緒にゴミ溜めに捨てられたというところで、涙が止まらなかったのだろうと思う。

 ただ、他方で、「こんな風に自分の体の一部をあげていったら、ほんの数人しか助けてあげられないし、最後は世界が見えなくなってしまうではないか。貧しい人や困っている人は世の中にたくさんいるのに、自分が死んでしまったら、そんな人たちを助けられなくなるではないか」──そんな自問自答をし、やり場のない悔しさを感じたことも覚えている。

 その後、中学2年の歴史で古代ローマの「護民官」に自分の中で反応するものがあり、中学3年の公民で「国選弁護人」について知り、弁護士がいいなあと漠然と思ったのが、弁護士をめざしたきっかけであるが、今思えば、その源流にこの「幸福の王子」を読んだ時の涙と悔しさがあるような気がするのである。

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6-2 イワキ君のルーツ」カテゴリの記事

コメント

岩城先生、私は、覚えていますよ!!
先生の結婚式に出席させて頂いた時に志の高い方だなあと、感じていました。確か人形劇の内容がそうでした。志の元を辿れば「幸福王子」だったのですね…
私は、幼心にこのツバメがかわいそうだなあと感じたこと、目がなくなってしまった王子が印象的だったことを思い出しました。
私の生家は、商家でした。日中は、忙しいので夜寝る前、三人姉妹の私たちに母が本を読んでくれていました。もちろん、字は、読める年齢でしたが少年少女全集とかの本を毎晩、すこしづつ…その中にこの「幸福王子」もあったと記憶しています。
私の場合は、その一冊からというより、その本を読んでくれた母の姿勢が自分の子育てや幼児教育に対する根底にあるものを育んでくれたように思います。
私ごとに話はそれましたが、何れにせよ漠然と…という大人になるまでの出来事や経験が今の自分を形成しているのだなあと思います。その漠然との経験の頃を通る時間が今の子どもには、少な過ぎるようにも感じます。漠然と感じた思いを活かし社会に貢献できる人は、幸せです。先生、これからも弱きを助けてください^^
今年も一年奥様にお世話になりました、先生のご理解のお陰です。この場をおかりしてお礼申し上げます。
佳き新年をお迎えくださいませ。

◆あしやあそぼくらぶ 板倉恵美 様
 コメントありがとうございます。そういえば板倉さんは私の結婚式(ちょうど30年前!)にも出席して下さっていたのですね。
 人形劇の内容が「志が高い」ものだったかどうか、あまり覚えていませんが、そういった印象を持っていただけているのは光栄なことです。
 板倉さんの場合は、お母様のていねいな「読み聞かせ」が、娘さんの感性を育て、幼児教育の仕事に導いて行ったのですね。
 これからも、感性豊かな子どもたちを、たくさん育てて下さい。
 今後とも、よろしくお願いします。

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