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2013年1月の4件の記事

2013年1月30日 (水)

No.107 ユニークな学生寮で、自由な学生生活を謳歌──「第二進修学舎」での4年間

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 京都駿台予備校に「上賀茂寮」から通うという、苦しかった浪人生活を抜け出し、晴れて京大法学部に合格した私は、どこに住もうかと考える中で、偶然に「第二進修学舎」のことを知った。

 「第二進修学舎」は、左京区一乗寺里ノ西町にあった、定員わずか16人の小さな学生寮である。私は4年間(1976~1979年)を、この寮で過ごした。

 ここは、実にユニークであった。
 ① 和歌山県出身であれば、どの大学に通っていても入寮の資格があった。
 ② 住み込みの寮母さん(当時は、山口らいさんというおばさんがいた)が、食事の世話などをしてくれていた。
 ③ 運営は寮生自身による完全な自治で行っていた。「寮委員会」が執行機関、寮生全員による月1回の「舎生会議」が最高議決機関であった。

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 私の年は、2人の募集に対して、26人もの応募があり、課題作文と、寮生自身による面接が行われた。緊張して合格する気がしなかったが、なぜか奇跡的に合格した。
 入ってから知ったが、ここはすごい歴史のある寮であった。文明開化が叫ばれた明治の終わりの明治44年、旧紀州藩主の徳川頼倫公が「南葵育英会」を設立し、みずから数十万円(当時の時価にして約7億円という)を拠出して賛助者を募り、学資不足で進学を断念しようとした旧紀州藩出身の子弟の育英に尽くそうと、自分の江戸屋敷の一角に進修学舎(第一進修学舎)、京都に第二進修学舎、北海道に第三進修学舎を作ったとのことである(平成元年2月和歌山県議会で質疑がなされている)。
 つまり、紀州藩の末裔が、紀州出身の学生を支援して立身出世できるよう図ったのである。その後、東京の「第一」、札幌の「第三」はなくなり、京都のこの「第二」だけが残っていたという。

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 そんな難しい話とは関係なく、進修学舎での生活は本当に楽しかった。
 京大のほか、同志社、立命、京都工繊大、京都府立大、京産大、龍谷大など所属大学も学部も多彩で、同郷という親近感と、16人という少人数で、寮生は本当に仲がよかった。寮内では、和歌山弁が「共通語」であった。

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 毎年春には女子大との「合ハイ」(合同ハイキング)があり、秋には「寮祭」があった。
 寮祭には、たった16人の寮に200人くらいの女子学生が来てくれ、木造建物の床が抜けなかったのが不思議なくらいであった。あちこちの部屋で、いろんな出し物や出店が行われた。女子学生をたくさん迎えて、嬉し恥ずかしの高揚した一日であった。


 また、日常的にも、それぞれ自分の勉強もする一方で、毎晩必ずあちこちの部屋で、酒を酌み交わしながら議論したり、麻雀をしたりしていた。本当に、楽しい日々であった。

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 ただ、この寮は4年間を超えて在籍することは認められず、これから本格的に司法試験の勉強を始めようという私は。4回生の終わりにここを出ざるを得なかった。

 その後、毎年、卒寮生と在寮生が一緒になった同窓会総会が行われていたが、超低金利時代が続き、財団法人による財政的な維持が困難になったとのことで、80余年の歴史を閉じ、2004年(平成16年)3月27日、同窓会の解散総会が行われた(私が参加したのはこの解散総会が最初で最後だった)。

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 子どもから大人へ、親の庇護のもとから一人立ちした社会人へ──そのちょうど真ん中の学生時代。楽しさ、不安、友情、連帯、仲間。そんな「青い」学生時代を、この寮で過ごせたことは、本当に幸せだった。
 ワンルームマンションに住み高い家賃を払い、帰ったら一人ぼっち、また、入学してもアルバイトとすぐさま就職活動に突入する、今の学生たちのことを思うと、本当に恵まれていたと思う。
 そんなすばらしいものを、若い世代に残してあげられなかったことに、一抹の責任も感じてしまう(もっとも私がどうかできるようなものではなかったが)。

 寮でのイベントがあれば必ず歌った「進修学舎小唄」。この歌を口ずさめば、いつもこころはあの頃にワープする。みんな今、どうしているだろうか。

 ※写真の説明(上から順)
  ① 入寮した年の同窓会(私は後列右から4番目)
  ② 入寮してすぐにあった保津川での「合ハイ」(私は左から2番目)
  ③ 2回生の時の寮祭(私はちょうど真ん中)
  ④ 4回生の時の寮祭(コーヒー豆を挽いている模様。今の長男に実に似ている)
  ⑤ 4回生の終わりの「追い出し旅行」(私は前列右から2番目)
  ⑥ 進修学舎小唄

  ①と⑥は、第二進修学舎のブログから借用させていただきました。


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2013年1月24日 (木)

No.106 大阪弁護士会「人権賞」授賞式に万感の思い

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 No.103で紹介したとおり、1月22日、大阪弁護士会館2階会議室で、「第12回大阪弁護士会人権賞授賞式」が行われた。
 テレビ朝日のカメラも入る中、金屏風に飾られた壇上に、選考委員の方々と大阪過労死家族の会の代表世話人の村上加代子さん、世話人の寺西笑子さんが登壇。

 人権賞選考委員会委員長の武者小路公秀氏の開会のあいさつ、司会の島尾恵理弁護士(大阪弁護士会人権擁護委員会委員長)による選考委員の紹介の後、選考委員会副委員長の中川喜代子氏が選考経過を報告された。
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 中川氏は、本年は6件5団体の応募があった中から、大阪過労死家族の会が選考委員7名の満場一致で選ばれたことを紹介するとともに、受賞理由として、①20年以上の活動実績、②今後の活動の展望として「過労死防止基本法」の取り組み、③過労死が多発する大阪での活動への期待を挙げた。

 続いて、大阪弁護士会の藪野恒明会長から村上加代子代表世話人に、表彰状と副賞が授与された。そして、寺西笑子さんが、受賞団体を代表してあいさつをされた。
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 寺西さんは、日本の労働者の働き方の現状、大切な家族を過労死で失った遺族の悲しみと労災申請の大変さ、過労死を根絶するための過労死防止基本法の制定のために頑張っていることなどを述べるとともに、栄えある人権賞の授与への感謝の言葉を述べた。
 最後に、藪野会長が閉会あいさつを行って、授賞式はお開きとなった。

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 これらの報告やあいさつを聞きながら、20年間の労災認定や裁判を闘った遺族たちのことや、家族の会と一緒に行ってきた様々な活動が次々と思い出され、万感胸に迫るものがあった。
 また、3000人以上の会員を擁する大阪弁護士会が「過労死防止基本法」の制定の取り組みを評価し、激励してくれたことは、大きな自信となった。
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 加えて、消費者委員会畑出身で私が尊敬する藪野恒明先生が大阪弁護士会長として、また私と司法修習同期・同クラスで親しい山西美明さんが今年度の人権賞の担当副会長として、今回の人権賞に関与して下さったことも、本当に嬉しいものであった。
 私も、今回のこの受賞を励みに、過労死問題、過労死防止基本法の取り組みにいっそう頑張っていきたいと思う。

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 なお、この授賞式の様子は、当日夜のテレビ朝日のニュースで紹介され、また翌日付けの朝日新聞でも報道された。

※写真の説明(上から順)
①開会あいさつを行う武者小路公秀委員長
②藪野会長からの表彰状授与
③受賞のあいさつを行う寺西笑子さん
④授与された表彰状
⑤藪野会長と村上さん、寺西さん
⑥朝日新聞の記事


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2013年1月20日 (日)

No.105 重いテーマを「未来への架け橋」を謳う音楽劇に──井上ひさし「組曲虐殺」を観て

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 「蟹工船」などで最近再び注目を浴びているプロレタリア作家、小林多喜二。わずか29歳4か月で特高警察の拷問で虐殺されたその生と死を描いたこの音楽劇の大阪公演(1月19日、梅田・シアタードラマシティ)に出かけてきた。
 この劇の初演(2009年秋)の直後(2010年4月)に井上ひさしさんは亡くなり、今回はその再演とのことである。前評判も高かったようで、行きたいと思ったときには、既にチケットはほとんど売り切れで、かろうじて「注釈付き指定席」(観覧にやや難がある席)を購入することができた。

 キャストは主役・多喜二役の井上芳雄さん、多喜二の姉・チマ役の高畑淳子さん、多喜二の恋人・瀧子役の石原さとみさん、多喜二の妻・伊藤ふじ子役の神野三鈴さん、特攻刑事・古橋役の山本龍二さん、同じく山本役の山崎一さんのわずか6人だが、全員すばらしかった。また、小曽根真さんのピアノもすごかった。

 治安維持法、特高警察、「アカ」、拷問、虐殺といった重く暗いテーマ(虐殺された多喜二の遺体の写真をご覧になったことがある人も多いのではないだろうか)を、井上ひさしさんがどんな劇に仕上げているのか、興味津々であったが、一方でリアルさをきちんと残しつつ、他方で笑いあり涙ありの人間劇として作られていることに感心した。

 ヒューマンさという点では、3人の女性がすごく明るくお茶目で、魅力的だった。また、特高警察の2人について、「権力の犬」でありながらも、皆と同じように「かけがえのない光景」を持つ人間の一人として、哀しみとユーモアを込めて描いていることに胸が熱くなった。

 他方、リアルさという点では、多喜二が虐殺された当時の状況は完全に過去のものになっているわけではない。思想調査も、弾圧や差別も現在に至るまで連綿と続いている。
 さらに、貧困や過酷労働、解雇・失業が町にあふれる一方で、憲法改正や国防軍が声高に叫ばれる現在の政治情勢のもとで、この劇は新たなリアリティをもって迫ってくる。

 そんなこの劇の中で、心に残ったのは、多喜二の次の言葉である(会場で原作の戯曲本まで購入してしまった)。

 絶望するには、いい人が多すぎる。希望を持つには、悪いやつが多すぎる。なにか綱のようなものを担いで、絶望から希望へ橋渡しをする人がいないものだろうか‥‥いや、いないことはない。

(以下、多喜二の歌「信じて走れ」)
 愛の綱を肩に/希望めざして走る人よ/いつもかけ足で/森をかけぬけて/山をかけのぼり/崖をかけおりて/海をかきわけて/雲にしがみつけ/あとにつづくものを/信じて走れ
 愛の綱を肩に/星をめざして走る人よ/いつもひたすらに/ワルをうちこらし/ボロをうちすてて/飢えをうちはらい/寒さうちやぶり/虹にしがみつけ/あとにつづくものを/信じて走れ/あとにつづくものを/信じて走れ

 これは、井上ひさしさんが、今の時代のことも思いつつ、自分の思いを多喜二に歌わせているのではないだろうか。
 私は、「あとに続くものを信じて走って」いるだろうか。そんなことも考えた帰り道であった。

 それにしても、手塚治虫さんもそうであったが、この方にも、もっと生きてほしかったと思う。

 ※画像は、購入したプログラムと戯曲本の写真です。


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2013年1月13日 (日)

No.104 日本人が過労死するまで働いてしまうルーツを解明──岩波ブックレット「過労死のない社会を」(森岡孝二 編)が発刊

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 この本は、「過労死防止法制定大阪実行委員会」の旗揚げの集いとして、昨年2012年3月2日に開催した「ストップ!過労死 大阪のつどい」の内容を、一部加筆してまとめたものである。9か月を経た昨年12月、ようやく発刊にこぎつけた。

 最大の目玉は、第Ⅰ部の木津川計さんの記念講演「命より大切な仕事って何ですか」である。話芸の達人で大阪の文化と芸能の第一人者として知られる木津川さんは、私たち日本人が過労死するまで働いてしまうルーツは、さかのぼれば明治時代に「脱亜入欧」を目指して立身出世主義を国家政策として奨励し、それが戦時の勤労動員、戦後の高度経済成長へと引き継がれてきたこと、その一方で「余暇」や「道楽」といった言葉が本来の意味を奪われ、ねじ曲げられていったことを、明快に解き明かした。
 特に、国が国民に歌わせた唱歌や、国民が自ら歌って鼓舞した歌を使った説明は、とてもわかりやすかった。
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 「身を立て 名をあげ やよ 励めよ」(「蛍の光」)
 「志(こころざし)を果たして いつの日にか帰らん 山は青きふるさと 水は清きふるさと」(「ふるさと」)
 「暫時(しばし)も休まず 槌打つ響き 飛び散る火玉にはしる湯玉 鞴(ふいご)の風さへ息をもつかず 仕事に精出す村の鍛冶屋」(「村の鍛冶屋」)
 「月月火水木金金」(軍歌)
 「明日は東京へ出て行くからは 何が何でも勝たねばならぬ」(「王将」)
 このお話を聴くと、滅私奉公・仕事優先でとことんまで働くことが、明治以来の美徳として私たちに刷り込まれていることが実感として理解できる。

 第Ⅱ部は、実行委員会の委員長でもある森岡孝二関西大学教授が「今、なぜ過労死防止基本法か」と題して、最近の2つの若者の過労死・過労自殺事件(「日本海庄や」事件とワタミ事件)を紹介しつつ、働き方の変化と労働時間の実態を踏まえて、なぜ過労死はなくならないのか、なぜ今過労死防止基本法の制定が必要なのかを話された。

 第Ⅲ部のリレートーク「過労死家族の訴えと職場の現状」は、新聞社に勤める夫を過労死で亡くされた妻の塚野信子さん、IT企業に入って過労でうつ病を発症し、休職と復職を繰り返すなかで治療薬を過量服用して死亡した息子の母親の西垣迪世さん、休職者が多い現在の教育現場に詳しい教職員組合の役員をされている藤川真人さん、若者の労働相談や調査活動をされているNPO法人「POSSE」の事務局長の川村遼平さん、「地域労組おおさか青年部」の北出茂さんに、私が順次インタビューを行ったものである。
 自分で言うのもなんだが、過労死に至った労働実態がどのようなものであったかについて、コンパクトに語っていただけたと思う。

 ぜひ広くお読みいただいて、過労死問題についての理解と、過労死防止基本法の制定への共感が広がることを願う。

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