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2014年9月の5件の記事

2014年9月28日 (日)

No.210 過労死の「防止」と「補償」の相乗効果を!──過労死弁護団第27回総会

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◆9月26・27日の両日、仙台市の作並温泉で、過労死弁護団全国連絡会議の第27回総会が開かれた。年1回この時期に開かれる、過労死弁護団の最大のイベントである。
 6月20日に過労死等防止対策推進法(過労死防止法)が成立し、11月1日に施行されれば第1回の「啓発月間」を目前に控える中、全国から約100人の弁護士と過労死遺族が参加した。

 川人博幹事長は幹事長報告の中で、過労死防止法の成立を「過労死をなくす活動にとって歴史的な成果」であるとし、「今後、これまで以上に過労死防止のための独自の活動を強化し、防止活動(啓蒙活動等)と労災補償活動(労災認定等)を車の両輪として活動を行うことが大切になっている」「このような活動を続けることによって、相乗効果が生まれて、両方の活動が発展する条件ができる」と述べた。
 本当にそのとおりだし、そのようにしていかなければならないと、改めて思った。

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 その最初の取り組みとして、①法律が施行され最初の啓発月間となる11月に全国各地で記念シンポジウムや集会を行うこと、②11月1日(土)に「過労死防止法施行記念・過労死・過労自殺110番」を全国的に実施すること、③10月29日に「(仮称)過労死等防止対策推進全国センター」(略称:過労死防止全国センター)を結成することなどが議論され決定された。

 特別講演として、早稲田大学教育学部の黒田祥子教授(労働経済学)が、「労働時間の経済分析 超高齢社会の働き方を展望する」と題して講演をされた。
 日本人の労働時間の実態はどうなっているのか、日本人は働くことが好きなのか(環境要因と労働時間)、労働と健康(長時間労働の健康への影響、従業員のメンタルヘルス悪化と企業業績への影響)といったことを話された。統計分析の基礎知識的なお話も含めて、大変面白く、勉強になった。

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 総会で一番盛り上がるのは、やはり具体的な事件の報告と質疑である。勝訴判決について学んで知識と元気をもらえることもうれしいが、敗訴判決についての議論も、それに劣らず貴重である。経験交流と意見交換の価値というものを、改めて実感する。

 来年の総会は、夕食懇親会で自ら名乗りをあげ、ジャンケンで勝った福岡に決まった。
 法律の施行後、過労死問題はどのように変化しているのだろうか。
 それを楽しみに、これから1年間、頑張っていきたい。

 なお、NHKが次のように報道してくれた。

 過労死ゼロに向け啓発運動へ - NHK 東北 NEWS WEB 09月26日 15時42分

過労死の裁判を担当する全国の弁護士が仙台市で総会を開き、ことし6月に過労死の防止を初めて規定した法律が成立したことから、今後は国と連携して過労死ゼロに向けた啓発運動に取り組むことなどを申し合わせました。
この総会は「過労死弁護団全国連絡会議」が裁判の事例などの情報を交換しようと毎年、開いているものです。
過労死をめぐっては効果的な対策を進めるため、ことし6月、過労死の防止を国の責務と初めて規定した法律が成立しました。
総会のなかで連絡会議の幹事長を務める川人博弁護士は「過労死という言葉が入った法律が成立したのは画期的だが、この法律じたいは過重労働を規制するものでなく法律をいかすことができるかどうかは我々の活動にかかっている」と述べました。
そのうえで、「これまで通り被害者の労災認定を勝ち取る活動に力を入れる一方で、今後は、裁判で闘ってきた政府や労働局とも連携して過労死の防止を訴える啓発活動に取り組みたい」と話しました。
弁護団は、ことし11月に過労死に関する全国一斉の無料の電話相談会を実施するということです。


◆2日目終了後は、会場を「エル・パーク仙台」というところに変えて、午後2時から5時30分ころまで、過労死防止全国センター(仮称)の第2回準備会の会議を行った。
 こちらの方も、遅ればせながら、次のとおり結成総会を行う段取りを決めることができた。
 一人でも多くの皆さんのご参加をお願いしたい。

 【名称】 過労死等防止対策推進全国センター(仮称)結成総会
 【日時】 2014年10月29日(水)午後6時30分~8時30分
 【会場】 主婦会館プラザエフ(地下鉄丸ノ内線・南北線・JR四ツ谷駅徒歩1~3分)
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◆ところで、今回の仙台ツアーでは、1日目は仙台駅の「利久」、2日目は「太助」という有名なお店で「牛タン定食」を食べることができた。大阪にも牛タンを食べられるお店はあるが、やはり仙台で食べる牛タンは格別においしく感じるのは、気のせいだろうか。
 頭も心もお腹も充実して、仙台を後にした。
 仙台の皆さん、いろいろとお世話いただき、ありがとうございました。
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 ※写真は上から、
 ①仙台駅近くの「アエル」の31階展望テラスからの仙台市内の眺望
 ②総会の会場で演壇を下りる岡村親宜先生(写真を撮るのが遅くなりました・・)
 ③お世話になった仙台の皆さん(夕食懇親会にて)
 ④「利久」の牛タン定食
 ⑤「太助」のお店の入り口
 ⑥「太助」の牛タン定食
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2014年9月24日 (水)

No.209 酒井秀和さん、長い間ありがとうございました

 9月18日、我が「あべの総合法律事務所」で長年事務局長を務めてくれた酒井秀和さんが亡くなられた。
 まだ65歳。肝臓ガンで闘病中であったが、余りに早い旅立ちであった。
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 酒井さんは、1972年、蒲田豊彦弁護士と同時に、天王寺法律事務所に事務局として入所し、同事務所の事務局長を務めていた1995年4月、蒲田弁護士と私が天王寺法律事務所から独立して、現在のあべの総合法律事務所を開設する際、根木原知子さん(当時)と一緒に、私たちの新しい事務所に移籍してくれた。新たに採用した阪田由美子さんとの5人で、新事務所をスタートしたのである。

 以来、酒井さんはあべの総合の事務局長として、長年頑張ってくれ、60歳でいったん定年となったが、その後も嘱託の形で勤務を続けてくれた。
 酒井さんほど、見栄や虚勢、地位欲や名誉欲と縁遠い人はいないだろう。法律事務の知識は完璧で、裁判や執行の手続については、私たち弁護士以上に精通していた。にもかかわらず、謙虚で決して威張らず、依頼者や他の事務局に優しく、気配りをされる人だった。
 地味だが真面目で心優しい「草食系」の代表のような方だったが、平和と民主主義を大切にし、弱者に寄り添い、権力の不当な横暴は許さないという、自分の信念をきちんと持っている方だった。

 一昨年の2012年4月に半月あまり入院されたが、同月下旬に退院され、メーデーへの参加の際に事務所で快気祝いをした(No.71 過労死防止法の署名と快気祝い──今年のメーデー)。

 昨年、療養に専念するとのことで、昨年2月末で事務所を退職されたが、こんなに早くお別れすることになるとは、思ってもいなかった。一度、蒲田弁護士と私と酒井さんの3夫婦で食事をすることになっていたが、当日酒井さんの体調不良で実現しないままになったことが悔やまれる。

 9月20日、ご自宅近くの芦屋市内の葬儀場で行われた告別式は、故人の遺志により無宗教形式で行われた。蒲田先生のお別れの言葉に続いて、愛媛大学時代のサークル仲間の5人が並び、大学時代の思い出と、平和に対する思いを話された後、5人で“We Shall Overcome(勝利を我らに)”を歌われたのは、胸に迫るものがあった。

We shall overcome, we shall overcome
We shall overcome someday
Oh, deep in my heart, I do believe
We shall overcome someday
 
 最後に参加者が手に手に花を持って柩の中の酒井さんに手向けたが、その柩の中には、手あかで汚れたエンゲルスの「空想から科学へ」の文庫本が入れられていた。
 ご家族の思いが、胸に染みた。
 酒井さん、これまで一緒に生きてきたことを誇りに、これからも頑張っていきますので、よろしければ見守っていて下さい。
 長い間お世話になりました。ありがとうございました。
 合掌。

 ※写真は、2003年8月の事務所旅行で、蒲田先生の母校、京都の峰山高校の門前にて、酒井さんと蒲田先生ご夫婦。そう、この旅行も、もう11年も前になるのである‥。

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2014年9月15日 (月)

No.208 森岡孝二先生(関西大学名誉教授)、過労死防止法成立の意義を語る

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 少し日が経ってしまったが、毎日新聞(2014年9月3日付け)の「オピニオン」のページで、森岡孝二先生(関西大学名誉教授)が、過労死防止法の成立の意義について、インタビューで語っている。
 聞き手は、過労死問題を一貫して報道してきた東海林智記者だけに、大変よくまとまっていると思う。
 「残業代ゼロより過労死ゼロが優先されるべきだ」──大変いいキャッチコピーだと思う。
 法律の施行を前にして、ぜひたくさんの人に読んでほしい。

<そこが聞きたい>過労死防止法成立 森岡孝二氏 http://mainichi.jp/journalism/listening/news/20140903org00m010006000c.html (毎日新聞2014年09月03日)

 ◇国・自治体の責務に−−関西大名誉教授・森岡孝二氏
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 先の国会で過労死等防止対策推進法(過労死防止法)=1=が成立した。「過労死防止基本法制定実行委員会」の委員長として遺族らとともに立法措置を求めてきた森岡孝二・関西大学名誉教授に、その意義や今後の課題を聞いた。【聞き手・東海林智、写真・梅田麻衣子】

−−過労死が社会問題化してから四半世紀が経過し、「KAROSHI」として国際的にも知られる異常な状況に歯止めをかける過労死防止法ができました。

 過労死や過労自殺は「あってはならない死」です。よくここまでこぎ着けたなというのが実感です。2011年11月に被災者家族や弁護士、学生らで法制定を求める実行委員会を結成しました。55万筆の署名を集め、道府県議会を含む全国121の地方議会で制定を求める意見書が採択されるなど運動が広がりました。昨年6月には超党派の議員連盟が作られ、約130人が参加、法制定の大きな力になりました。

−−超党派の議員が動いた背景に何があったのですか。

 過労死は人災です。被災者家族らが中心になって熱心に議員を訪ね歩き、過労死の現状を伝えた結果、理解が広がりました。また、法制定を求める院内集会に参加した議員のあいさつでは、身内や近しい人、支援者らの間に過労死や過労自殺の被災者がいるという話が参加の動機として語られました。「人ごとではない」という思いが危機感を持って広がったことも背景にあると思います。国会の総意として防止法が成立したことは大きな意義があると思います。

−−法律ができたことで具体的にはどのような効果が期待できますか。

 この法律は、過労死の防止を国と自治体の責務として初めて定めました。防止対策として調査・研究、啓発、相談体制の整備、民間団体の活動支援などを盛り込んでいます。

 例えば、調査・研究の分野では、個々の労災請求を詳細に検討して積み重ねていけば、これまで見えていなかった長時間労働の健康への影響を具体的に解き明かすことができます。深夜労働やシフト制、連続勤務や休憩時間のあり方がどのように健康被害につながるのか分かるかもしれません。

 また、現在、過労死認定=2=されている脳・心疾患以外の疾病、例えば糖尿病のような疾病に対する長時間労働の影響の解明も重要です。これまで、長時間労働の実態があっても関連が解明されなかったケースでの労災認定に役立つでしょう。

−−防止対策は進むでしょうか。

 労災認定される過労死・過労自殺は「氷山の一角」と言われています。全体像が見えてくれば、具体的な防止策も前進し、命を危うくする働き方への抑止につながっていくものと期待しています。

 その他にも、国や自治体による過労死の広報・教育活動や、11月の「過労死等防止啓発月間」を通じて、過労死の防止を国民的課題として可視化することも期待できます。

−−法成立直後に、政府は労働者の一部を労働時間規制から除外する「新たな労働時間制度」を成長戦略に位置づけました。長時間労働を助長するとの批判も根強くありますが。

 現状から見たら、逆立ちした提案です。正社員の労働時間は既に限界を超えるほど長くなっており、その抑制が求められています。しかし、この制度は一部の人を労働時間規制の対象外とし、際限のない長時間労働を容認するものです。また、働く人の命と健康を守るべきなのに、命と健康を経済発展の道具にしようとしています。二つの意味で逆立ちしていると言わざるを得ません。

−−除外の対象者は年収1000万円以上で専門的な仕事などと要件を挙げていますが。

 対象者の多くは、勤続20年ぐらいで40〜50代、部長や課長、それに準じる人々でしょう。部下を指導、指揮する立場の人には出退勤の裁量があったとしても、部下が仕事をしている中で先に帰ることができるかと言えば難しい。専門職というくくりも、日本の職務区分は大ぐくりです。専門分野があいまいで、多様な仕事を抱えているのが現実です。いずれにせよ、労働時間規制から除外されれば、長時間労働から逃れるのは極めて難しい。

 また、労働者派遣法が派遣可能な職種を限定して始まりながら、後に全面解禁されたように、いずれは年収要件も専門性の要件も緩和されることが予想されます。命の危険にさらされる労働者はあっという間に拡大するでしょう。そうなれば、今以上にひどい状況を招いてしまいます。

−−過労死防止法ができたからといって手放しで喜べる状況ではないということですね。

 法の成立は、過労死防止対策の長く困難な道の入り口に立ったに過ぎません。制定された法をどう生かすかは、国と自治体、事業主の責務であると同時に私たちの課題でもあります。
 ◇聞いて一言

 2006年の第1次安倍政権時代に、労働時間規制から管理職に近い人を除外する「ホワイトカラー・エグゼンプション」構想が出された。思えばこれに「過労死促進法案だ」と反対したのも被災者家族だった。その家族や森岡さんらが、過労死防止法の成立に全力を挙げたのは「これ以上働く者の犠牲を許さない」との願いからだ。くしくも、法成立直後に、再びエグゼンプションが成長戦略として提案された。当然、残業代ゼロより過労死ゼロが優先されるべきだ。
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 ■ことば
 ◇1 過労死等防止対策推進法
 「過労死はあってはならない」を基本理念に、国に過労死防止の施策を策定・実施することや、自治体に協力して地域の施策を策定する責務を課した。事業主には防止策への協力、国民には過労死防止への関心と理解を深める努力義務も課した。今秋に大綱を作り、過労死等防止対策推進協議会が設置される。

 ◇2 過労死認定
 2013年度の脳・心疾患による過労死の労災請求件数は784件(前年度比58件減)、認定は306件(同32件減)と過去最多レベルで高止まりしている。精神疾患の労災請求件数は前年度比152件増の1409件(自殺177件含む)で過去最多、認定は436件(前年度比39件減)だった。過去最悪の前年度は下回ったが400件台の認定が続いている。
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 ■人物略歴
 ◇もりおか・こうじ
 1944年生まれ。専門は企業社会論。近著に「過労死は何を告発しているか 現代日本の企業と労働」(岩波現代文庫)。


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2014年9月12日 (金)

No.207 「一人」を楽しみながら深夜まで勉強──「深夜放送」の思い出

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 昭和31年(1956年)生まれの私の小学校高学年~高校時代(1960年代終わり~1970年代前半)は、「深夜放送」の全盛期だった。
 関西では、朝日放送の「ABCヤングリクエスト」(通称「ヤンリク」)と、毎日放送の「MBSヤングタウン」(通称「ヤンタン」)が圧倒的な聴取率を誇っていたと思われる(関東では「セイ!ヤング」や、今もある「オールナイトニッポン」などが有名だったが、関西ではほとんど聴くことができなかった)。

 私が初めて深夜放送の「ヤンリク」を聴いたのは、小学校6年生の時、初めて買った小さな「トランジスタラジオ」(これは、新聞配達でもらった給料で買ったもので、当時で1000円くらいした。)で聴いたのが最初だった。

 昔は、テレビもラジオも、深夜までは放送していなかった。そんな中で、真夜中に一人でイヤホンで密やかに深夜放送を聴くのは、何かしら大人になったような気がしたものである。

 「ヤンタン」は、吉本系などの若いタレントが集まってワイワイと騒ぐパターンが多く、楽しいが、これを聴き始めると勉強にならなかった。これに対して「ヤンリク」は、しっとりとした番組で、BGM的に音楽やトークを聴きながら勉強することができたので、私は「ヤンリク」を聴くことが多かった。

 「ヤンリク」の開始時間は午後11時25分だったと思う。イヤホンを挿して小さなジョグダイヤルを回すと、周波数1008kHz(昔は1010だったように思う)で耳に入ってくる「ハガキで当てよう!車と1万円」の掛け声に続いて、流れてくるテーマソング。歌い手は、初代はあの奥村チヨさん、その後岡本リサさんという女性に変わった。

♪ 夜があなたに ささやく夜も 小窓に雨が 降る夜も  お届けしましょう 若い歌 あなたのおハガキ リクエスト  聴きましょう 夢のリクエスト あなたと2人の クイズと夢のプレゼント  Oh,ABC ヤングリクエスト♪

 この番組は、歌や音楽ばかりでなく、決まった時間に多彩なコーナーがあった。例えば「ミッドナイト寄席」、笑福亭仁鶴の「頭のマッサージ」、「心の旅 遠くへ行きたい」、「スタジオ貸します」などなど。

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 私は実家が英語塾だったので、英語だけは父の授業に無料で(笑)出さされていたが、それ以外はほとんど塾に行ったり家庭教師にお世話になったりしたことはなかった。中学までは、参考書を文字どおり参考にしながら、教科書の予習・復習、高校時代は通信添削で勉強する(当時は「Z会」と並んで双璧をなしていた「オリオン」という通信添削をしていた。)など、基本的に独学で勉強していた。

 そんな孤独な(?)勉強の友が、深夜放送だった。
 住んでいたのが和歌山県の田舎なので、たいした高校受験もなかったが、全国模試や県レベルの模試はあり、結構一生懸命勉強した。

 番組が終わる午前3時まで勉強をすることはあまりなかったが、時々時間を忘れて3時まで聴いていると、エンディングテーマが流れてくる。

♪夜が優しく あなたの胸に 素敵な夢を 運びます  おやすみなさい 明日の夜も 2人の幸せ 歌いましょう  聴きましょう 夢のリクエスト 明日も2人の クイズと夢のプレゼント  Oh,ABC ヤングリクエスト♪

 ヤンリクを一番聴いていたのは、中学時代だった。高校に入っても聴いてはいたが、集中が必要な時にはスイッチを切ることが多くなった。また、高3になると「大学受験ラジオ講座」を聴くことが増え、自然と深夜放送から離れていった。
 そして、浪人時代はほとんど聴かなくなり、大学に入ると、もちろん聴かなくなった。

 私にとって、中学・高校時代、家で一人で遅くまでやった勉強は、深夜放送と一体だった。今でも、ヤンリクのテーマソングや各種コーナーを、昨日のことのように覚えている。
 時々、真夜中に窓を開けて遠くを見たときの、あの何ともいえない不安と切なさみたいな感覚が、私の青春時代のイメージだったような気がする。

 ※画像(上)は、インターネットの無料イラストから拝借しました。
    (下)は、ウィキペディアの「銀河鉄道の夜」のページから拝借しました。
 ※テーマソングは、1曲目が奥村チヨさん、2曲目が岡本リサさんです(YouTube)。
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2014年9月 4日 (木)

No.206 お世話になった元裁判官との思いがけない再会に感激!

 9月2日午後、不動産取引に関わる民事訴訟で、私は当事者3人の本人尋問のために、大阪地裁のある法廷に入室したところ、法廷に学生らしき7、8人と、物腰の柔らかそうな初老の男性がいた。
 学生さんの傍聴かな、くらいの感覚でさほど気に留めなかったが、尋問の合間の休憩のとき、初老の男性が何やら書記官と立ち話をしている。「ふ~ん」という感じで男性に目をやると、どこかで見覚えがある。「そうや、元裁判長の松本さんや!」

 松本哲泓(てつおう)裁判官。1990年代後半から2000年代初めにかけて、大阪地裁民事第5部(労働部)の部総括(裁判長)をされ、その間、過労死事件をはじめとして、いくつかの労働事件でお世話になった。
 原告として裁判を起こし、勝訴させてもらうのは嬉しいことである。それほど多いわけではないが、西原過労死事件行訴1審判決(大阪地判平成12年1月26日・労働判例780号20頁)、サンマーク残業代請求事件判決(大阪地判平成14年3月29日・労働判例828号86頁)で勝訴判決をいただいた。

 しかし、それだけではなくて、松本裁判長の法廷は、何かしら優しくて、温かいのである。
 忘れられないのが「関西電力二見事件」である。二見徳雄さんは、関西電力に入社後30年間にわたり送電設備の設計などの業務を行ってきたが、ある頃から視力が急激に低下し「視神経炎」と診断され、原因不明のまま視力障害3級(両眼とも0.04)となり身体障害者手帳の交付を受けた。そんな二見さんを関西電力は強引に解雇。二見さんは解雇無効を主張して提訴。職場の人々と障害者団体の方々の取組みにより、支援の輪が全国に広がるなかで、中途障害者の働き続ける権利を問う大きな事件となった(あべの総合法律事務所ニュース第5号の私の報告「障害者になったら解雇は当然?」参照)。

 人証調べが終わった後、和解の協議が行われた。原告は現職復帰を強く求めたが、関電側は別会社のOAオペレーターとしての採用しか認めようとしなかった。通常ならそこで和解決裂、判決となるところであるが、裁判所は何と、本件を「自庁調停」(事件が係属している裁判所が自分で調停を行うこと)に付し、3か月間の「試用」を行い、その結果を見ようと提案したのである。その間、概ね2週間毎に調停期日を入れ、試用の状況報告と意見交換を行った。2週間に1回の期日というのは、裁判所にとっては大変な負担であったことと思う。
 試用期間終了後も当事者の意見は一致しなかったが、裁判所は民事調停法17条に基づく決定(いわゆる17条決定)を行った(平成12年5月16日大阪地裁決定・判タ1077号200頁)。内容は、「試用の結果、当事者双方の意向等諸般の事情を考慮して、原告が休業期間満了をもって合意退職し、その後被告において再雇用する」というものであった。

 二見さんは悩んだが、元の職場で働き続けられることを重視してこれに応じることにし、関電も異議を述べなかったため、決定は確定した(「いずみ」第11号の蒲田弁護士の報告「二見さん 職場復帰を勝ち取る」参照」。
 二見さんと私たち弁護団は、とても嬉しくて、松本裁判長にお礼を言いに地民5部の裁判官室まで赴いた。面談してくれた松本裁判長は、「よかったですね。頑張って下さい」というようなことをおっしゃってくれた。

 二見さんはその後元の職場で再雇用により職場復帰し、55歳で早期定年退職するまで働き続けた。退職後の二見さんからの年賀状に、「お蔭さまで、定年まで働き続けることができました。」という趣旨のことが書かれていて、しみじみと感慨に耽った。

 松本裁判長は、その後大阪高裁、神戸地・家地裁、富山地・家裁所長、和歌山地・家裁所長、大阪高裁を経て平成23年7月に定年退官され、その後、平成24年から関西大学のロースクール教授になられていた。
 そうか、松本さんは、関大ローの学生さんを連れて、今日は傍聴に来ておられたんだ。

 私は懐かしくて、休憩が終わる前に、思わず松本さんのところに行き、「ご無沙汰しています。その節はお世話になりました。」とあいさつをした。松本さんは、あの少しはにかんだような笑顔で対応して下さったが、果たして私のことを覚えていて下さったかは定かではない。

 「昔はよかった」などと、安易なことを言うつもりはない。しかし、松本裁判長のような優しく温かみをもった裁判官、付調停と2週間毎の調停期日、17条決定といった事案に即した柔軟な解決方法を試みてくれる裁判官は、今でもおられるのだろうか。

 そんな松本さんに、私の尋問を学生たちと一緒に午後5時まで目一杯傍聴されて、ちょっと恥ずかしかった。
 尋問が終わる前に法廷から退室されたため挨拶もできなかったが、学生の皆さんも含めて、感想をお聞きしたかった。
 松本さん、その節は本当にお世話になりました。
 二見さんにも代わって、御礼を申し上げます。ありがとうございました。


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