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2014年9月 4日 (木)

No.206 お世話になった元裁判官との思いがけない再会に感激!

 9月2日午後、不動産取引に関わる民事訴訟で、私は当事者3人の本人尋問のために、大阪地裁のある法廷に入室したところ、法廷に学生らしき7、8人と、物腰の柔らかそうな初老の男性がいた。
 学生さんの傍聴かな、くらいの感覚でさほど気に留めなかったが、尋問の合間の休憩のとき、初老の男性が何やら書記官と立ち話をしている。「ふ~ん」という感じで男性に目をやると、どこかで見覚えがある。「そうや、元裁判長の松本さんや!」

 松本哲泓(てつおう)裁判官。1990年代後半から2000年代初めにかけて、大阪地裁民事第5部(労働部)の部総括(裁判長)をされ、その間、過労死事件をはじめとして、いくつかの労働事件でお世話になった。
 原告として裁判を起こし、勝訴させてもらうのは嬉しいことである。それほど多いわけではないが、西原過労死事件行訴1審判決(大阪地判平成12年1月26日・労働判例780号20頁)、サンマーク残業代請求事件判決(大阪地判平成14年3月29日・労働判例828号86頁)で勝訴判決をいただいた。

 しかし、それだけではなくて、松本裁判長の法廷は、何かしら優しくて、温かいのである。
 忘れられないのが「関西電力二見事件」である。二見徳雄さんは、関西電力に入社後30年間にわたり送電設備の設計などの業務を行ってきたが、ある頃から視力が急激に低下し「視神経炎」と診断され、原因不明のまま視力障害3級(両眼とも0.04)となり身体障害者手帳の交付を受けた。そんな二見さんを関西電力は強引に解雇。二見さんは解雇無効を主張して提訴。職場の人々と障害者団体の方々の取組みにより、支援の輪が全国に広がるなかで、中途障害者の働き続ける権利を問う大きな事件となった(あべの総合法律事務所ニュース第5号の私の報告「障害者になったら解雇は当然?」参照)。

 人証調べが終わった後、和解の協議が行われた。原告は現職復帰を強く求めたが、関電側は別会社のOAオペレーターとしての採用しか認めようとしなかった。通常ならそこで和解決裂、判決となるところであるが、裁判所は何と、本件を「自庁調停」(事件が係属している裁判所が自分で調停を行うこと)に付し、3か月間の「試用」を行い、その結果を見ようと提案したのである。その間、概ね2週間毎に調停期日を入れ、試用の状況報告と意見交換を行った。2週間に1回の期日というのは、裁判所にとっては大変な負担であったことと思う。
 試用期間終了後も当事者の意見は一致しなかったが、裁判所は民事調停法17条に基づく決定(いわゆる17条決定)を行った(平成12年5月16日大阪地裁決定・判タ1077号200頁)。内容は、「試用の結果、当事者双方の意向等諸般の事情を考慮して、原告が休業期間満了をもって合意退職し、その後被告において再雇用する」というものであった。

 二見さんは悩んだが、元の職場で働き続けられることを重視してこれに応じることにし、関電も異議を述べなかったため、決定は確定した(「いずみ」第11号の蒲田弁護士の報告「二見さん 職場復帰を勝ち取る」参照」。
 二見さんと私たち弁護団は、とても嬉しくて、松本裁判長にお礼を言いに地民5部の裁判官室まで赴いた。面談してくれた松本裁判長は、「よかったですね。頑張って下さい」というようなことをおっしゃってくれた。

 二見さんはその後元の職場で再雇用により職場復帰し、55歳で早期定年退職するまで働き続けた。退職後の二見さんからの年賀状に、「お蔭さまで、定年まで働き続けることができました。」という趣旨のことが書かれていて、しみじみと感慨に耽った。

 松本裁判長は、その後大阪高裁、神戸地・家地裁、富山地・家裁所長、和歌山地・家裁所長、大阪高裁を経て平成23年7月に定年退官され、その後、平成24年から関西大学のロースクール教授になられていた。
 そうか、松本さんは、関大ローの学生さんを連れて、今日は傍聴に来ておられたんだ。

 私は懐かしくて、休憩が終わる前に、思わず松本さんのところに行き、「ご無沙汰しています。その節はお世話になりました。」とあいさつをした。松本さんは、あの少しはにかんだような笑顔で対応して下さったが、果たして私のことを覚えていて下さったかは定かではない。

 「昔はよかった」などと、安易なことを言うつもりはない。しかし、松本裁判長のような優しく温かみをもった裁判官、付調停と2週間毎の調停期日、17条決定といった事案に即した柔軟な解決方法を試みてくれる裁判官は、今でもおられるのだろうか。

 そんな松本さんに、私の尋問を学生たちと一緒に午後5時まで目一杯傍聴されて、ちょっと恥ずかしかった。
 尋問が終わる前に法廷から退室されたため挨拶もできなかったが、学生の皆さんも含めて、感想をお聞きしたかった。
 松本さん、その節は本当にお世話になりました。
 二見さんにも代わって、御礼を申し上げます。ありがとうございました。


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コメント

 そうですか。そんなに良い裁判官だったですのね。
 
 当職にも、生涯忘れられない裁判官が、お二人ほどいます。
今まで100件以上の裁判等の支援を行ってきましたが、本当に裁判官の能力で全てが決まってしまうので怖いものがあります。

 当職が、社労士如きでこれほど悩ましいのですから、先生達のご苦労は如何ばかりかと、拝察致します。

 その中でも、画期的な判決を書いてくださった裁判官は、心底感謝しています。
岩城先生も、再会出来てよかったですね。

 きっと、岩城先生のことは、覚えておられると思いますよ。

 当職と玉木弁護士は、岩城弁護士は特殊能力があると、専ら話をしています(笑)。

 通常人では、出来ない発想をする。

 その特殊能力を生かして、クライアントのために勝ちまくってください。岡山で、いつも見つめています。

 岩城先生が勝った投稿を、楽しみに待っています。

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