No.281 新緑の故郷にて、兄弟3人で亡き両親の回忌供養
4月30日、1994年4月27日に亡くなった父の23回忌、2005年8月1日に亡くなった母の13回忌の法要を、和歌山県紀の川市(当時は打田町)の実家(現在は兄家族が住んでいる。)で行った。
本来は母の13回忌は来年なのだろうが、2年連続でするのも大変だし、きっと両親も一緒にしてもらった方がいいだろう、なんて勝手に解釈して、2つの法要を一緒に行うことにした。
法要といっても、集まったのは兄夫婦と長女、私夫婦、弟の6人だけ。ちょっと寂しい気もするが、今さら集められる親戚も迷惑だろうと思うので、これでいいんだろうと思う。
兄弟3人が集まったのは4年ぶりくらいだった。なつかしい実家の仏壇、両親の遺影、お坊さんの聞き慣れた読経とちょっとした講話に、何となく気持ちが安らぐ。
そのまま全員で数百メートル歩いて、岩城家の墓のある菩提寺へ。墓石を拭き、花を供え、線香をあげる。
続いて、兄弟3人(私の妻と兄の娘も)が卒業した打田中学校を北から東へぐるりと廻って、JR和歌山線の打田駅まで歩いた。
中学校はここ数年で全面建替えされ、かつての校舎や体育館などは残っていないが、それでもやはり懐かしい。
打田駅はもうずいぶん前から無人駅になっているが、プラットホームの懐かしい感じはそのままだ。私が高校時代まで、和歌山線には何とC61という蒸気機関車(SL)が走っていて、私たち兄弟はこれに乗って隣の岩出町(現・岩出市)の県立那賀高校まで通っていたのである。
駅前の小さな広場やいくつかの商店の雰囲気は同じだった。駅前の食堂で40数年前と同じようにソフトクリームを売っていた。味も昔のままだった。
改めて、小さな田舎町ではあるが、生まれ育ったこの町を懐かしく、いとおしく思う。
いったん実家に戻った後、近所の喫茶店に移動して皆で昼食を食べて解散。
次に集まるのは何回忌になるのだろうか。既に私たち自身の人生も逆算に入っている中、たまにはこんな一日があってもいいなあ、としみじみ思った。
※写真は上から
①お坊さんの講話
②岩城家のお墓
③打田中学校全景
④打田中学校の門
⑤⑥JR打田駅
⑦打田駅前
⑧喫茶店にて
↓ ↓ ↓
♪ここまで読んで下さった方は・・・ワンクリックしていただけたらとっても嬉しく、励みになります。
にほんブログ村
« No.280 一日一日の重みと、ブログ空白の1か月 | トップページ | No.282 大阪憲法ミュージカル、上演まであと1か月──準備も練習もいよいよ佳境に »
「6-1 思いつきエッセイ」カテゴリの記事
- No.356 手軽で便利! 再認識したiPadの魅力──この頃ハマっているもの(その1)(2020.04.20)
- №348 2018年 私の6大ニュース【プライベート編】(2018.12.31)
- №347 2018年 私の10大ニュース【パブリック編】(2018.12.31)
- No.333 2017年 私の15大ニュース(その2)(2017.12.31)
- No.332 2017年 私の15大ニュース(その1)(2017.12.30)
この記事へのコメントは終了しました。
« No.280 一日一日の重みと、ブログ空白の1か月 | トップページ | No.282 大阪憲法ミュージカル、上演まであと1か月──準備も練習もいよいよ佳境に »
コメント