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カテゴリー「5-7 スポーツ」の5件の記事

2014年2月23日 (日)

No.167 ソチ冬季オリンピックに思ったこと

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 2月7日(一部競技は6日)に始まった、ロシアのソチでの冬季オリンピックは、早や今日2月23日、閉会式を迎える。
 時差の関係もあって、深夜にライブ中継があったりするので、この2週間ほどは夜更かしで睡眠不足になった人も多かったのではないだろうか。

 本当は、何回かオリンピックについて書きたかったが、全然時間がなくて書けなかった。
 せめて閉会する前に、いくつか思いつくままに書いておきたい。
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①メダル数について
 オリンピックというと、やはり国別のメダル数が気になってしまう。今回は今のところ、日本のメダル数は〔金1・銀4・銅3=8個〕。女子フィギュアシングルなど、予想に反してメダルが獲れなかったこともあり、少ないと思われる向きもあるかもしれないが、これは結構いい数字なのである。
 第10回から今回までの日本のメダル獲得数は、次のとおりである。
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  第10回(1968年)グルノーブル【フランス】0・0・0=0
  第11回(1972年)札幌【日本】1・1・1=3
  第12回(1976年)インスブルック【オーストリア】0・0・0=0
  第13回(1980年)レークプラシッド【アメリカ】0・1・0=1
  第14回(1984年)サラエボ【ユーゴスラビア】0・1・0=1
  第15回(1988年)カルガリー【カナダ】0・0・1=1
  第16回(1992年)アルベールビル【フランス】1・2・4=7
  第17回(1994年)リレハンメル【ノルウェー】1・2・2=5
  第18回(1998年)長野【日本】5・1・4=10
  第19回(2002年)ソルトレークシティー【アメリカ】0・1・1=2
  第20回(2006年)トリノ【イタリア】1・0・0 =1
  第21回(2010年)バンクーバー【カナダ】0・3・2=5
  第22回(2014年)ソチ【ロシア】1・4・3=8

 なんと、今回の8個というのは、長野の10個以来の多さなのだ。札幌では3個しかなく、前々回のトリノは1個、前回のバンクーバーは5個。日本の選手たちは、今回はよく頑張ったといえるのである。
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②感動した競技について
 41歳の葛西紀明選手(いつの間にか「レジェンド」の称号がついていた)が、長野で出場できなかった悔しさを胸に頑張り、ついにラージヒルで銀メダルをとった。ラージヒル団体でも銅メダルをとり、一緒に頑張ってきた若い人たちにメダルをとらせてやりたかったので嬉しいと男泣きした。その思いに感情移入して、思わずもらい泣きしてしまった人は多いのではないだろうか。

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 また、女子フィギュアシングルで、1日目のSPでミスを連発し16位という信じられないスタートとなった浅田真央選手が、自分を乗り越えて、2日目のフリーで自己最高得点を出して6位入賞まで盛り返し、涙と笑顔を見せたことにも、ご多分にもれず感動した。
 前回バンクーバーで銀メダルを獲り、国内外のあらゆる大会でトップクラスの成績を残してきた彼女でさえも、重圧におしつぶされることがあるし、また、一晩でそれを切り替えて最高の演技もできるのである。人間というものの弱さと、それを乗り越える強さというものを教えてくれた。

 それに、メダルは置いておいて、オリンピックを目標に頑張ってきた選手の皆さんの努力は、半端ではない。
 数日前、ボブスレーに出場する黒岩俊喜選手の練習の様子を収録したテレビ番組を観たが、真夏から大変なトレーニングをしていた。それでも、2月22日の本番での結果は30チーム中25位だったようである。メダルの話題にものぼらない、こんな頑張りがあるんだと知って感動した。

③オリンピックと平和について
 ソチオリンピックの様子を伝える新聞記事の隣に、ウクライナで反政権派と治安部隊が衝突して多数の死者が出たことに抗議して、アルペンスキー女子回転に出場予定だった選手(24)とコーチを務める父親が大会を棄権することを決めた、との報道があった。選手はテレビの取材に、首都キエフの広場で惨事が続いているため、競技に出場しないことを決めたとし、「親友たちがそこにいる。人々が命を落とし、当局が五輪の原則である平和を壊している時に、出場することはできない」と話したという。オリンピックをめざして頑張ってきたのに、自ら抗議して棄権する。その心情を思うと胸がつぶれる。
 ウクライナは、黒海をはさんでソチの向かい側にある。スポーツの祭典をしているすぐ近くで、たくさんの人々が命を落としているのである。

 また、テレビに写る世界各国の若者たちは、みんな同じ時代の若者だった。国籍を超えて選手同士が抱き合い、お互いを讃えあっている。応援する若者たちも、スマホを触り、顔に絵を描いて、キャッキャッとはしゃいでいる。しかし、わずか数十年前には、こんな若者同士が、戦争の敵国同士としてお互いに殺し合った歴史が現にあったのである。
 こんな若者たちに、戦場で殺し合いをさせたくない。自分の子どもたちや孫たちにも、そんなことはさせたくない。そんなことを、しみじみ思った。
 世界が平和であることの価値を互いに確認しあうことも、またオリンピックの大きな役割ではないだろうか。

 ※画像(上から)
 (1) ソチオリンピックのロゴマーク
 (2) ソチオリンピックのマスコットキャラクター
 (3) ソチオリンピックの金・銀・銅メダル
 (4) ラージヒル団体で銅メダルをとった清水礼留飛、竹内択、伊東大貴、葛西紀明の各選手
 (5) 女子フィギュアでフリー演技を終えた浅田真央選手


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2013年11月 3日 (日)

No.147 悲願と宿命の一戦に感無量──2013年日本シリーズ第6戦を観て

 昨日11月2日は、今年の日本シリーズ第6戦の巨人-楽天戦をTVで「通し」で観た。1つの試合を「通し」で観るのは、いったいいつ以来のことだろうか。
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 もちろん応援したのは、初めてペナントレースで優勝した東北代表の楽天イーグルスと、なかでも今年のペナントレースを何と24勝無敗で終え、昨年8月から公式戦30連勝というとてつもない記録を更新中であった田中将大(まさひろ)投手(愛称マー君)である。

 もともと楽天イーグルスは、2004年に勃発した、旧近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの合併と、これに端を発した球界再編(1リーグ化)問題(これに反発して、日本プロ野球選手会が労働組合として歴史的なストライキを決行したことを覚えている人も、だんだん減ってきたかもしれない)の中で、楽天が名乗りをあげ、東北地方を本拠地として創立された、最も後発の球団である。
 そして、旧近鉄と旧オリックスの選手が新生「オリックス・バファローズ」と「楽天イーグルス」に振り分けられるという、大変な難産を経てスタートした球団であった。

 しかし、無理もないこととはいえ、元阪神の田尾安志氏が監督を務めた初年度の2005年度は、38勝97敗1分け、勝率2割8分1厘、首位とのゲーム差51.5という屈辱的な記録に終わった。
 後任の監督に、野村克也(2006~2009年)、星野仙一(2011年~2013年)という、いずれも阪神タイガースをペナントレース優勝に導いた元監督が就任し、楽天は頭角を現してきた。
 そこに、2011年3月に東北を襲った東日本大震災。今年の楽天は、東北にとって復興のシンボルであり希望であった。

 その楽天が、初めてのパ・リーグ優勝、CS(クライマックスシリーズ)突破、そして10月31日には巨人の本拠地で3勝2敗と王手をかけて仙台に戻り、田中の先発で迎えた第6戦であった。まるでドラマのような舞台設定が揃ったのである。このような大舞台は、もう二度と現れないのではないだろうか。
 また、こんな楽天を、阪神大震災の生々しい記憶が残り、アンチ巨人で阪神ファンである私が応援しない理由があるはずがない(笑)。最近は、チームカラーのエンジ色に親しみを感じて仕方がない。

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 試合は、予想(むしろ「期待」だと思うが)に反して、田中が被安打12、4失点で、何と初黒星を喫したのである。
 巨人の底力と40年振りの日本シリーズ連覇にかける気迫、これに対する大魔神田中の真っ向勝負の激突であった。
 しかも、初めて田中から長打を打ったのが、小学校時代に兵庫県内の少年野球チームでバッテリーを組んでいたという坂本勇人だった(この時は現在と逆で、田中が打者で坂本が投手だったそうである)のだから、これもドラマチックである。

 それでも田中は志願して、9回まで160球を投げきった。今シーズン終了後大リーグに行くといわれている田中の、最後まで自分が責任を取って投げきりたいという姿勢と気迫に、ぐっと来るものがあった。

 これで3勝3敗の五分となった。流れ的には巨人が優勢になったと見られているだろう。しかし、何が起こってもおかしくないのが日本シリーズである。
 名将でありながらまだ日本シリーズ制覇がない星野監督に、初めての制覇をしてほしいとも思う。
 あと4時間半後に始まる、泣いても笑っても今年最後の第7戦に注目したい。

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2013年8月 1日 (木)

No.130 「尾藤監督2世」率いる箕島高校の闘いぶりに注目!

 今年の甲子園の夏の全国高校野球の和歌山大会は、19年ぶりに箕島高校が優勝して甲子園出場を決めた。
 箕島高校は1979年には春・夏連覇を果たすなど春3回、夏1回の全国優勝を誇る全国でも屈指の強豪校だったが、ここ20年くらいは私立の智弁和歌山が取って代わり、昨年まで8年連続で和歌山大会を制していた。
 今年は智弁和歌山は3回戦で敗退。昨年決勝にまで進出し智弁和歌山に敗れた私の母校那賀高校は準々決勝で箕島に敗れたが、その箕島が優勝したのだから胸を張ってよいだろう。また、箕島高校は県立高校である。私学が全盛の中で、公立高校が活躍するのは、特に公立高校出身者にとっては何か郷愁を誘うものがある。
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 箕島高校といえば、春夏連覇を達成した1979年、3回戦で福井県代表の星稜高校(元巨人・ヤンキースの松井秀喜氏の母校である)と延長18回の死闘が有名である。
 あの試合があった1979年8月16日は、私は大学4年で、ちょうど和歌山の実家(那賀郡打田町)に帰省し、高校時代の友人3人(確かT君、N君、H君の3人だったと思う)と私の部屋でマージャンをしながら、ラジオでこの試合の実況中継を聞いていた。延長に入ってからのすさまじい試合展開に、マージャンの手も止まり固唾を飲んで耳を傾けていたことを覚えている。そして延長18回サヨナラ勝ちが決まったときは大騒ぎだった。
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 当時の箕島高校の野球部を率いていたのは尾藤公(ただし)監督。ピンチになっても笑顔を絶やさない「尾藤スマイル」で有名だったが、一昨年の2011年3月、亡くなられた。
 それで寂しく思っていたところ、2年後の今年3月、公さんの長男の尾藤強さんが監督に就任し、いきなり県大会優勝を果たしたのである。テレビでお見受けしたところ、お父さんより精悍なお顔をしているが、やはりお父さんの面影がある。
 いろいろなところでよくも悪くも「2世」が論じられるが、野球部の監督の親子2代というのは、これまであったのであろうか。
 そんなところから、今年の夏の甲子園の楽しみができて、嬉しく思っている。

【追伸】
 上記の記事を投稿した後、今日(2013年8月2日)の朝日新聞に、「夏の甲子園 ベストゲームはこれだ!」というアンケート結果が載っていた。
 それによると、
 第1位 第51回大会(1969年)決勝 松山商 0-0 三沢 (253票)
 第2位 第61回大会(1979年)3回戦 星稜 3-4 箕島 (228票) 
 第3位 第88回大会(2006年)決勝 駒大苫小牧 1-1 早稲田実 (150票)
 第4位 第80回大会(1998年)準々決勝 横浜 9-7 PL学園 (140票)
 第5位 第91回大会(2009年)決勝 中京大中京 10-9 日本文理 (76票)
 (以下、略)
 とのことで、上述の星稜-箕島戦は堂々の2位に入っている。
 第1位の松山商-三沢の試合は、当時私はまだ中学1年生だったので、テレビの実況中継は見ておらず、後からニュースなどで知ったのであるが、これも井上、太田という2人の投手が延長18回まで投げ抜いて0-0だったという、奇跡に近いような試合であった。

 たった一度だけの対戦で、青春真っ只中の高校生たちがチーム一丸となって全力でぶつかり合うからこそ、こんな奇跡のような試合も生まれるのだろう。
 野球をやったことのない私でも、「くーもーはわーきー、光溢れてー♪」という夏の大会のテーマソングを聞くだけで、なぜか胸が熱くなる。
 夏の高校野球が日本の夏の風物詩となっているのは、大人たちにも、青春時代と故郷への郷愁を誘うからだろう。 

 ※画像(上) 延長18回の死闘のスコア(ウィキペディアより借用)
   画像(下) 尾藤監督親子(インターネットより借用)

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2012年8月 1日 (水)

No.84 オリンピックと「地球市民」

 4年に一度の夏の祭典、「ロンドンオリンピック2012」が、7月27日~8月12日までの17日間の日程で始まった。
 前回の北京大会から、もう4年も経ったのかという感じがする。
 今回は30回目という、節目の大会になるようだ。
 おさらいとして、東京大会以降の開催年・回目・開催地を整理しておきたい。

  1964 第18回 東京(日本)   1968 第19回 メキシコシティ(メキシコ)   1972 第20回 ミュンヘン(西ドイツ)   1976 第21回 モントリオール(カナダ)   1980 第22回 モスクワ(ソビエト連邦)   1984 第23回 ロサンゼルス(アメリカ)   1988 第24回 ソウル(韓国)   1992 第25回 バルセロナ(スペイン)   1996 第26回 アトランタ(アメリカ)   2000 第27回 シドニー(オーストラリア)   2004 第28回 アテネ(ギリシャ)   2008 第29回 北京(中国)   2012 第30回 ロンドン(イギリス)

 これから繰り広げられる、世界中から集まった選手たちの躍動が楽しみだが、イギリスとの時差の関係で、テレビ放映が深夜から未明が多く、寝不足が心配である。
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 ところで、オリンピックの招致に、日本も含めて各国が熱心だが、なぜだろうか。
 ①国家主義国タイプ(開発主義国・社会主義国を含む)では、国威発揚や国家の威信の顕示を狙っている。
 ②先進資本主義国タイプでは、商業主義によって経済効果や利益が得られることを期待している。
 ③また、どちらのタイプでも、その社会が抱えている矛盾(貧困や内紛など)を隠蔽したり、国民の不満をそらしたりする狙いもあるのではないか。
 日本が立候補する理由は、上記①~③の全部が当てはまるように思う。
 日本への招致はなかなか苦戦しているようだが、莫大な予算を投入して赤字が残り、ハコモノをたくさん作るゼネコンや関係企業だけが大儲けをし、国民はマスコミに踊らされてお祭り騒ぎをし、お祭りの後は汚染された都市とハコモノだけが残る、という愚は避けなければならない。

 また、メダルの数に一喜一憂し過ぎることも避けたい。
 たしかに、表彰台に日の丸が掲揚されれば日本人としての自尊心をくすぐられるが、本来それは、好成績を挙げた選手をたたえることに主眼があるはずである。
 たとえば、夏の全国高校野球を考えてみよう。確かに、自分の出身高校や出身県の高校が勝ち進んでいくのは嬉しい。しかし、他の高校は打倒の対象だけというわけではないし、自分の出身の高校が出ていなかったり敗退すれば、あとはどうでもいいわけでもないだろう。
 様々な対戦を見守っていくからこそ、最後に優勝した高校や生徒たちを称えるとともに、頑張ったすべての参加校、選手たち全員を称えて大会を終了するのではないだろうか。
 ところが、オリンピックとなるや、相手国選手やチームは打倒の対象のみとなり、自国の選手の結果とメダル数のみが最優先課題となる。これが、選手たちに必要以上のプレッシャーを与えているのではないだろうか。

 それに、これからの世界は、「国籍」というものにどれだけの意味・価値があるだろうか。
 出身が他の国でもその国の国籍を取得すれば出場できるし、アメリカやヨーロッパでは、同じ国籍でも肌の色も出身国も様々である。
 この点、日本は島国のうえ、帰化要件が厳しいことから、「日本人」≒「日本国籍」≒「大和民族」という意識が強く残っているが、それは元々幻想であるし、世界はもはやそうではなくなっている。
 国技の大相撲でさえ、横綱・大関の大半は外国人力士となっている今、過剰に「日本人」や「大和魂」を強調しすぎるのは時代遅れであろう。

 世界中の人々が、「地球市民」同士として、競い合い、称え合う。紛争国からの参加者も、独裁国からの参加者も、普通の人間であることを改めて確認し合う。そんなオリンピックになればいいなあと思う。

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2011年7月25日 (月)

No.40 大関魁皇の引退を惜しむ

 大相撲の今年の名古屋場所は、大関日馬冨士が横綱白鵬の8連覇を阻止し、2度目の優勝を果たして終了した。
 不祥事明けの場所であったためか千秋楽に至ってようやく満員御礼となったのも寂しかったが、それ以上に寂しかったのは、大関魁皇が10日目終了後に引退を表明したことである。

 私が魁皇関に勝手に親近感を覚えているのは、次のような理由からである。Photo_2
 第1に、魁皇の初土俵は1988年(昭和63年)春場所で、私の弁護士登録と同じ年なのである。それにしても、魁皇の力士の同期は若貴兄弟と曙というから、どれだけ長い間土俵を務めていたがわかる。

 第2に、その成績がすごい。通算勝ち星1047、幕内在位場所数107、幕内出場回数1444、幕内勝ち星879はすべて歴代1位である。年6場所で15日間で年に90回しか相撲を取れないのだから、本当に長い間活躍し続けなければ残せない数字である。

 第3に、現時点では唯一の日本人大関ということである。外国人力士も味があるし、横綱白鵬などは風格の点でもすばらしいが、やはり日本の国技という以上、上位陣に日本人の活躍が見たい。次に横綱・大関に日本人の名前が出るのはいつになるだろうか。

 第4に、人間的に親しみを感じるということである。個人的に魁皇関を知っているわけではないが、かつての北の湖や千代の富士のように「憎たらしいほど強い」という感じでもなく、優勝とカド番を何度も繰り返し、最後まで横綱になれなかったのも、どこか人間らしい。にっこり笑う笑顔に、人の良さが表れているのではないかと、勝手に思っているのである。

 第5に、私は大相撲はテレビでしか観ないが、一度だけ大阪府立体育館に観に行ったことがあった(1999年3月23日)。生で観る大相撲の迫力はすごかった。立ち会いで激突する時、重い体が激突する「ズシーン」という音と、汗で濡れている皮膚がぶつかる「パーン」という音が同時に出るのである。この時、控室への通路で魁皇関を至近距離で見ることができて、とても嬉しかった。

 今から思えば、ここ数年は年齢や体力の衰え、腰痛の持病との闘いだったのではないか。
 そして、そんな魁皇関にとって、例の八百長メール問題で本場所が2回中止となった(3月場所は中止、5月場所は「技量審査場所」として開催された)ことは辛かっただろうし、中止されていなければ記録も変わっていたのではないだろうか。

 引退の会見で、「最高の相撲人生だった。悔いも後悔も一切ない」と話したそうである。
 私も、そんな人生が送れたらと思う。
 魁皇関の長年の土俵勤めに心から敬意を表するとともに、今後の新たな相撲人生を応援したい。

◆追記 この記事は、日本ブログ村の弁護士人気ランキングで、7月25日~27日にかけて1位となりました。
 大した文章でもないのですが、光栄です。
 お読み下さった皆様、ありがとうございます。 

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