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カテゴリー「6-5 「ニッポンの男たちへ」の素敵なエール(連載)」の7件の記事

2011年5月 5日 (木)

No.20 「ニッポンの男たちへ」の素敵なエール(その6)

 朝日新聞のオピニオンページの「リレーおぴにおん」コーナーの連載「ニッポンの男たちへ」シリーズの感想である。

 第6回(2011.4.20) は、京都・宇治川の鵜匠、澤木万理子さん(37)(「鵜の扱い 夫婦仲に通じる」)。

 澤木さんは、平安時代からの歴史を持つ宇治川の鵜飼いで、初めての女性鵜匠になって10年になるそうである。鳥と一緒に仕事がしたくてこの世界に飛び込んだとのこと。

 「先輩の3人の男性鵜匠はいずれも70代。初めて女性を受け入れてやりにくかったと思いますが、親身に教えてくださった。私の体力のなさもさりげなくカバーしてくれる包容力があります。この熟年世代はプライドを持って、寡黙に仕事をなし遂げる。日本の男性の理想像ではないでしょうか。若い人にも見習ってほしいですね。」

 「鵜に魚をはき出させる姿をご覧になった観光客の男性の中には、「わしらも鵜と同じように、家内にネクタイをキュキュッと締められ、給料をはき出さされているんや。身につまされるわ」とおっしゃる方もいます。切ない気もしますが、私たち鵜匠は年間約100日の鵜飼いシーズンのために、365日鵜の体調を気遣い、愛情を込めて育てています。鵜たちを舟の上に連れて行くと、「さあ、やるぞ」という意欲がみなぎっているようです。」

 「お父さんたちも家族の愛情に支えられているでしょう。それに、鵜が取ってきた魚を全部取り上げるんじゃなくて、小魚は食べさせてあげるんです。お父さんにも、奥さんからのお小遣いやお子さんの笑顔といったご褒美があるんじゃないでしょうか。」

 「鵜の操縦術は夫の操縦術に通じるか、ですか? いやー、どっちも大変ですよねえ。鵜と手綱でつながっていると、鵜匠の気持ちが鵜に微妙に伝わります。私がイライラしていると鵜たちも落ち着かず、ちゃんと動いてくれない。鵜飼いのときには、鵜のことだけを考えて集中します。要は相手を思いやること。そこが夫婦の仲とも通じるところかな。決して夫のネクタイを引っ張ってるわけじゃないですよ。」

 「近年は、茶どころで源氏物語ゆかりの地でもある宇治を訪れる女性観光客が目立ちます。彼女たちはアンテナを張り巡らし、多くの情報を素早く取り入れ、積極的に行動に移している。男性は自分の生活範囲だけで完結してしまいがちでは。男性ももっと外に向かって積極的になってほしいですね。」

 サラリーマンが、鵜飼いを妻に、鵜を自分に重ねるのは確かに切ないが、そう言っているご本人は、単なる自虐ではなく、「鵜飼い」である妻や家族のために、一生懸命稼いでいるんだというささやかな自負と誇りの裏返しで言っているのではないかと思う。

 澤木さんが「小魚のご褒美」を、「奥さんからのお小遣いやお子さんの笑顔のご褒美」に例えたり、鵜飼いの気持ちが手綱を通じて鵜に伝わるので、鵜飼いのときには鵜のことだけを考えて集中する、要は相手を思いやることが大切で、そこが夫婦の仲とも通じるとおっしゃるのは、ほのぼのとして温かい気持ちになる。
鵜に深い愛情を持って接している澤木さんだからこそ言えることであろう。

 また、最後の言葉は、男性として重く受け止めたい。男性は、「鵜としての仕事」にやりがいを感じつつも、それだけに終わってはいけないのである。
 ところで、「魚が取れなくなった鵜」は、どうなるのでしょうか・・。そこにも、男性に例えられる悲哀があったりして。(笑)

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2011年5月 1日 (日)

No.17 「ニッポンの男たちへ」の素敵なエール(その5)

 朝日新聞のオピニオンページの「リレーおぴにおん」コーナーの連載「ニッポンの男たちへ」シリーズ(最初の4回連載)について感想を書いたが、その後第5回~第8回連載まで、感想を書く前に連載が終わってしまった。
(週2回程度しかブログが書けないのに、週2回の連載の感想が書けるはずがない。)

 諦めようかとも思ったが、上記連載のキーワードでこのブログを見に来てくれる方もおられるようなので、遅ればせながら、残り4回についても感想を書くことにする。

 第5回(2011.4.19) は、前首相夫人の鳩山 幸(みゆき)さん(67)(「認めてあげれば元気になる」)。

 「家の中でも社会でも、男性はいくつになっても認められたい気持ちはありますものね。夫が帰宅した時、私はちゃんと玄関で「お疲れさま」と出迎えます。「あら、居たの?」なんてことはありません。夫も「ありがとう」を必ず口に出して言ってくれるタイプ。奥さんがご主人を認めない家庭が多ければ、日本の男性は元気になれません。私たちは認め合っているから、夫も私も元気ですよ。」

 「でも、この「認める」というのが、とても難しいんです。特に日本では意見が合わないだけで「仲が悪いんじゃないか」とか「けんかしてるみたい」って思われるから、はっきり自分の意見を表明しない。男性も女性も、会社や家庭で言いたいことを言えない場面が多いでしょう。だから、元気を失ってしまうのかもしれませんね。」

 この方は、世代的には、「その1」「その1・付記」で書いた、戦後の「男性正社員終身雇用制」が一般的であった世代の方なので、玄関に出迎えることで「認めてあげる」ことが、「自分が家族を支えているし、支えなければいけない」と思っている夫とうまく行く、標準的な方法といえるだろう。

 とはいえ、「認めてほしい」というのは、社会的存在としての人間の、基本的な要求であり、世代を超え、また夫婦関係にとどまらず、友人、同僚、上司と部下など、あらゆる場面で妥当する。
そして、この「認める」のがとても難しいことも、どの世代・場面でも同じである。

 ところで、「認め合う」ことと「あいさつ」は、共通している面がある。
例えば、あまり親しくない人とすれ違った場合、「こんにちは」と自分から言うかどうかは、実は難しい。
先にあいさつをするのは、何となく自分が「下」であることを認める感じがしたり、自分があいさつをしたのに相手に無視されたらイヤだなと思ったりして、迷うのである。
こんなとき、つまらないメンツや不安を振り切って、「まず自分からあいさつする」のがいいと、私は思っている。
そうすることによって、お互いが気持ちよく接することができるからである。

どんな世代、相手でも、「認め合う」ためには、「あいさつ」と「感謝の気持ち」を、まず自分から言う勇気が必要ではないだろうか。

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2011年4月16日 (土)

No.14 「ニッポンの男たちへ」の素敵なエール(その4)

朝日新聞のオピニオンページの「リレーおぴにおん」コーナーの連載「ニッポンの男たちへ」シリーズについての更なる続編である。

 第4回(2011.4.13) は、作家・英国生活情報誌「ミスター・パートナー」編集長、井形慶子さん(51)(「英国のシニアに負けないで」)。

【1】 まず、井形さんは、日本とイギリスのシニア(定年退職後の世代)を比較する。

 「30年あまり、日本と英国を行き来しています。そんななか、二つの国で違うと思うのは、現役を退いた男性たちの雰囲気です。
 英国のシニアは家事やボランティアを楽しみ、女性たちへの愛情表現も怠らない。だれにはばかることなく、妻の手をとり、時には他の夫婦も交え、食事や旅を謳歌しています。
 ひるがえって日本はどうでしょう。男性たちは現役時代、しゃにむに働きます。が、退いて家に戻ったとたん、居場所が見えなくなる。妻のケアを長く怠ったせいか、「ぬれ落ち葉」などと揶揄(やゆ)される。妻に先立たれると、食事などの生活そのものが成り立たなくなってしまうことも、問題です。
 英国では、夫婦の力関係がほぼイコールで、若いときから仕事も家事も、近所づきあいも、共同でこなす傾向が強い。これに対し、日本ではまだ「男が外で稼ぎ、女が家を守る」という分業制が残っているからでしょう。男性たちは仕事以外のことに、自信がもてないように見えます。」

 イギリスは伝統ある民主主義、紳士の国だが、男性は家事もボランティアも夫婦で楽しみ、他の夫婦も交えて食事や旅を謳歌するようだ。ここでも、日本の「遅れ」を痛感させられる。

【2】 しかし、井形さんは、今回の大震災でシニアの男性たちを見直した、という。

 「でも3月11日に発生した大災害で、シニアの男性たちを見直しました。定年を迎えた元営業マンは、被災地でのボランティアを志願。現場はリーダー不在の大混乱でしたが、彼はヒト、情報、カネを仕切ってきた営業経験をフル活用し、適材適所にヒトを送り、共同作業が得意な日本人の力を引き出した。同じように活躍するシニアも、数多く見聞きします。」

 「たぶん、この未曾有の災害を機に、人々の価値観が大きく変わるでしょう。手にした地位や資産の大きさが「偉い」のではなく、地域社会に飛び込み、仕事でたくわえた知識や人生経験を、惜しみなく還元することの方が評価されると思います。シニアの力が、日本復興の原動力として求められる時代が来たのです。」

 こんな風に言ってもらえたら、その年代でもないし、ボランティアも何もしていない私もちょっと嬉しい。

井形さんが紹介した「定年を迎えた元営業マン」というのは、おそらく団塊の世代の方だろう。団塊の世代は、基本的には自己主張はしながらも、限りなく社会連帯を求める世代である。これまでサラリーマン生活の中で自分を抑えてきたが、若いころの理想を胸の中に持ち続けている人も多いのではないか。
 また、ちょっと醒めた見方になるが、この世代は終身雇用・年功賃金制が完全に崩壊する前に退職することができ、比較的高額な退職金をもらい、経済的に余裕がある世代でもある。

井形さんのおっしゃるように、この世代の人々が、日本復興の原動力になってくれることを願いたい。

【3】 最後に井形さんは、日本の男性に、3つのアドバイスをする。

 ①「生活面では、英国の男性のように、妻以外の女友達も、ずっと大切にしてほしい。」

 ②「英国の男性は、女の前で泣きます。日本の男性だって、1人で抱えきれないくらいつらいとき、寂しいときは女の前で泣いてもいいじゃないですか。被災され、ひとりになった方たちも多いので、ぜひそう伝えたい。」

 ③「その上で、自分の気持ちや気遣いを気おくれせず、パートナーに伝える表現方法を磨いてほしいですね。英国の男性のように、日常的にキスしたり、女性をほめたりはできないでしょうけど、「語らずとも、オレの気持ちを察してくれ」というのはもう通用しない。電子メールを活用しましょう。さりげない毎日のひと言で、女たちは喜び、もっと優しくなれるのですから。」

 これは全部、そのとおりだと思う。
 「「語らずとも、オレの気持ちを察してくれ」というのはもう通用しない。電子メールを活用しましょう。」というのには、何かの標語みたいで、ちょっと笑ってしまった。

面と向かったり電話では言いにくくても、メールなら言えることもあることは、実際に経験するところである。
日本の男性の皆さん、メールを活用しましょう。

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2011年4月15日 (金)

No.13 「ニッポンの男たちへ」の素敵なエール(その3)

 朝日新聞のオピニオンページの「リレーおぴにおん」コーナーの連載「ニッポンの男たちへ」シリーズについての更なる続編である。

 第3回(2011.4.12) は、「70年代郊外育ちの知性派タレント」、麻木久仁子さん(48)(「真のリベラル」は10歳下に?」)。

 「私は1962年の生まれ、同世代の男子たちは若いころ「新人類」と呼ばれました。(中略)元祖オタク世代。」

 「何を考えているのか分からない、と言われた世代も、今や管理職になる年齢です。宇宙人のよう、だったのが意外なほど器用に立ち回っている印象がある。上からは「オレがオレが」の団塊世代の圧力を受け、下から超堅実集団のロスジェネ世代に突き上げられ、調整は簡単じゃないはずなのに。」

 「夢想的なところも調整上手なのも、若いころの経済事情が影響してるのかもしれません。戦後の成長期の2段目にさしかかった時期。車やカラーテレビやエアコンが普及して、日本全体がバブルに向けて右肩上がり。ギスギスせずに生きていけたんです。個人生活を大事にしつつ、人付き合いにもエネルギーを割く余裕があった。」

 「そして、男女が対等につきあえるようになった最初の世代。女性が4年制大学へ行くのが当たり前になり、専業主婦願望は急激に希薄になった。とりわけ東京郊外で育った私たちは、「お嫁さんになれないよ」と叱られることがなかった。もっぱら「勉強しなさい」ですよ。男子は学業のライバルであり、学園生活の仲間だったんです。」

 「ただ、外では対等でも、家庭チームのメンバーとしては、男性は活躍を計算できるレギュラーになりきれていない。少なくとも私の経験の範囲では。
 団塊おじさんよりはまし、と言ったら怒られるかな。団塊の「男女同権」はあくまでキャッチフレーズ、腹では「女はバリケードの裏でおにぎりでも握ってろ」というところではないですか?でも、同世代男性も「言われればやったのに」止まり。積極的に動いて家事や育児で着実にポイントを稼ぐという域には達していないんです。」

 「男性が女性を引きつけるためにどうふるまうかは社会状況に影響される。20代に増えている草食系男子は不況になじむ戦略を取っているだけなんでしょう。消費に走らず、恋愛に慎重、エネルギーの無駄遣いをしない。私たちは好景気をくぐってるので「やや雑食」の部分もないとつらいですけど。」

 「自分がこんど結婚するとすれば、10歳くらい年下の人がいいんじゃないかな、と夢想してます。(中略)女性の年齢にもこだわらないし、家にいるか仕事をするかにも無頓着だと聞きました。」

 「もしかすると、「新人類」と「ロスジェネ」との間に、表裏なく、教養や文化度も高い、真にリベラルな男の層が薄く広がってるんじゃないかな。まあ、たいていは既婚者でしょうし、そもそも「都市伝説」かもしれませんが。」

 そういえば、1962年(昭和37年)生まれあたりの人が「新人類」と呼ばれた時期があったなあ。

 この世代の人は、高度成長期に思春期を迎え、男女平等が普通のものとして育ったのであろう。でも職場はまだまだ男性中心で差別がいっぱい。そんなのギャップの中で、「男女雇用機会均等法」が成立したのは1985年(昭和60年)であった。
 70年代半ばから80年代前半まで不況の時代はあったが、今ほど深刻ではなく、その後はバブル経済(1986年~1992年頃)に向かっていったのである。

 そう考えると、この世代の人たちは、戦後民主主義や男女平等が普通の考え方になり、かつ、終身雇用制のもとで高度成長、その後はバブル景気も経験し、戦後日本の「陽」の部分をふんだんに取り込んで自己形成がなされた、ある意味でもっとも恵まれた世代かもしれない。

 だとすると、この「新人類」世代と、不況・就職難で自信を奪われた「ロスジェネ」世代(1972~82年生まれ)との間(つまり、1962~1971年生まれの10年間)に、「表裏なく、教養や文化度も高い、真にリベラルな男の層が薄く広がっているんじゃないか」という、麻木さんの指摘は正しいといえよう。実際、私の周囲にもそういう人たちがいる(ような気がする)。

 それから、「草食系男子」について、「不況になじむ戦略」だという見方は面白かった。
 私は「その1・付記」(4月8日投稿)で、「(若い世代での「草食系男子」の広がり(男性の「中性化」)は、旧来の男性優位社会が崩壊し、男性の社会的地位が相対的に低くなるなかで(男性が下がっていくことによる「男女の平準化」)、「男らしさ」が定義できず、男性が男性であることを胸を張ってアピールできなくなってきたことによる、必然的な結果ではないか。」と書いたが、麻木さんによれば、男性が「草食系」か「肉食系」か「雑食系」かは、要は景気の好況・不況によって決まる、ということであろうか。だとすれば、景気がよくなれば、また男性は「肉食系」に戻ることになり、あまり心配しなくてよいのであろうか。

 あと、最近、「肉食系女子」という言葉もあるようだが、これは経済との関係はあるのであろうか。
 う~ん、だんだんわからなくなってきた。

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2011年4月 9日 (土)

No.12 「ニッポンの男たちへ」の素敵なエール(その2)

 朝日新聞のオピニオンページの「リレーおぴにおん」コーナーの連載「ニッポンの男たちへ」シリーズについての続編である。

 第2回(2011.4.6) は、イタリア語通訳の田丸公美子さん(61)(「自分を笑えば扉は開く」)。

 「男と女が一生「雄と雌」であり続ける国イタリアでは、男性はセクシーであることを何よりも大切にします。セクハラをしないのがむしろセクハラと言わんばかりに女性をくどく。その分、自分の色気にも磨きをかける。
 いわばその対極ともいえるのが、電車で寝こけている日本の男性です。長距離通勤で疲れ果て、色気どころではないのは分かりますが、ズボンの裾からののぞくすね毛は何とかならないでしょうか。」

 「洗練された立ち振る舞いも苦手ですね。(中略)イタリアでは女性が部屋に入ると、男性は一斉に立ち上がって迎えます。通訳の私の分がまだだからと、自分の食事に箸をつけなかった社長もいました。」

 「騎士道のない日本で、エスコート術を究めろというのも酷なので、まずは形から入ってみてはいかがでしょうか。背筋をキュッと伸ばして堂々と歩くだけでも色気は増します。一通りのテーブルマナーは身につけた上で、食事の時は女性をじっと見つめて話しかける。女は見つめられるほどきれいになるものです。」

 「ユーモアや会話術も欠かせません。イタリアに最近ナンパ塾ができたんですが、「ナンパの帝王」という塾長曰く、一番肝心なのは「自分を笑いものにすること」だそうです。自分をダシにして、女性が笑ってくれれば、最初の扉は開いたも同然だと。一方、日本の男は僕はこんなに偉いんだ、すごい仕事をしているんだって、つい威張ってしまう。自慢話はいいから、もっと笑わせてちょうだいって思う。」

 「かくいう私も夫は日本人です。(中略)寡黙な日本男性が恥ずかしそうに褒めてくれるほうが心に響くようになりました。イタリア人に比べて誠実で、見かけだけで選ばないところも信頼できます。
 何より、イタリア男は女性に尽くしてくれる分、要求も厳しいから疲れるんです。(中略)家では肩の力を抜きたいのは男も女も一緒。日本の男に色気が足りないのは、それを求めない私たち女のせいかもしれませんね。」

 同じように海に囲まれ気候も温和で似ているといわれる両国だが、男女関係のスタイルはなぜこれほど違うのだろうか。
 私は、おおもとには民族性の違いがあると思う(イタリア人は狩猟民族、日本人は農耕民族)。

 ゲルマン民族をはじめとする狩猟民族は、基本は個人個人で、自分のために自己主張し、必要であれば戦う。そのためのルールとして歴史的に形成されてきたのが「騎士道精神」である。これに対し農耕民族は、家族や地域集団で畑を自然から守り農作業を行うために、家族や地域の「和」を重んじ、自己主張や対立を嫌う。

 男女関係についていえば、狩猟民族は女性を自分で獲得する(時には敵から略奪する)ものであり、そのためには、おしゃれやエスコートは当然ということになる。これに対し、農耕社会の日本では、結婚は家同士や地域の中で決まるものであり、結婚した女性は集団に組み込まれるので、基本的にはつなぎとめておく必要はない(「釣った魚に餌はやらない」)。女性も男性に「色気」を求める必要はない。

 とはいえ、これらは歴史的・文化的なもので、今や「狩猟」や「農耕」で食べているわけではないから、それぞれのいいところを取り入れていくことが必要だろう。
 その意味で、日本とイタリアの男性の違いと、それぞれの良さ・欠点を体験的に理解している田丸さんのご意見には、傾聴すべきものがあると思うのである。

 日本人からすれば、「和」や「雰囲気」を大切にしながら、外見にも気を遣い、姿勢を正し、嫌味のないおしゃれをし、女性を優しくエスコートし、ユーモアや話術を身につけ、自慢話ばかりしない、そのうえで、日本人らしく誠実に、かつ、女性がリラックスできる場も与えましょう、ということになろうか。

 これはムズカシイ・・。かく言う私は、どれだけ実践できることやら・・・。

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2011年4月 8日 (金)

No.11 「ニッポンの男たちへ」の素敵なエール(その1・付記)

 前回の投稿で、現代は「男性受難の時代」だと思う、と書いた。
 この点について、少しだけ補足したい。

 1つは、「男性は今まで社会的にも経済的にも肉体的(腕力)にも、女性よりも有利な立場にあり、威張っていたのが威張れなくなっただけで、「受難」というのはおかしいのではないか、という点である。

確かに、戦前の農村社会での家父長制(さらには軍国主義下では「兵隊」として役に立つのは男子であり(「産めよ増やせよ」は男子を意味した。)、戦後の男性正社員の終身雇用制のもとで、男性は女性よりも一般的に優れているといった、根拠のない男性優位思想が根強く残っており、これを信奉する軽薄な人間がいることは事実である(たとえば、石原慎太郎(現都知事)の「女性が生殖能力を失っても生きてるってのは、無駄で罪です」発言とか、柳沢厚生労働大臣(当時)の「女性は子どもを産む機械」発言などに、その一端が見える。)。

しかし、私が言いたいのは、家父長制社会、男性正社員終身雇用社会では、男性は「家族を守り、支えないといけない」という重い責任を負っていたのであり、まじめな多くの男性は、「家族を守り、家庭を支える」ことを自らに課された義務として頑張ってきたということである。

そして、社会・経済の変化と、意識の変化の間にはタイムラグがあることから、家父長的、男性正社員的意識がまだまだ支配的なもとで、社会・経済状況の変化によって従来の責任を果たせなくなったとき、多くの男性は、「自分が不甲斐ない、甲斐性がないのが原因だ」と、自分を責めるのである。小泉内閣以来強まった「自己責任論」がそれを後押ししている。

私は、この主観的意識(「自分が家族を支えなければならない」)と、客観的な社会状況(男性が家族を支えることが社会的に極めて困難になってきていること)とのギャップに、多くの男性が苦しんでいる状況を、「男性受難の時代」と表現しているのである。

 次に、それでは、「戦前の家父長制」も「戦後の男性正社員終身雇用制」も経験していない若い男性は、「受難」はしていないのであろうか。

確かに、狭い意味での「受難」はないかもしれない。しかし、最大の問題は、最近の若い男性の間では、「男らしさ」や「理想的な男性像」といったものが共通の価値として共通認識になっておらず、男性としてのアイデンティティが見出せていないことではないだろうか。

若い世代での「草食系男子」の広がり(男性の「中性化」)は、旧来の男性優位社会が崩壊し、男性の社会的地位が相対的に低くなるなかで(男性が下がっていくことによる「男女の平準化」)、「男らしさ」が定義できず、男性が男性であることを胸を張ってアピールできなくなってきたことによる、必然的な結果ではないか。

だとすると、近未来、男女はどんどん似ていくのであろうか。
そう考えると、少し恐くなる。

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2011年4月 7日 (木)

No.10 「ニッポンの男たちへ」の素敵なエール(その1)

 朝日新聞のオピニオンページの「リレーおぴにおん」コーナーで連載が始まった「ニッポンの男たちへ」シリーズ。まだ2回だが、とても読ませる内容である。

 第1回(2011.4.5) はタレントの安めぐみさん(29)(「ネクタイ緩め一息・・・可愛い」)。

 「草食系男子がブームだと言われています。芸能界でも線が細くて中性的な方が人気です。でもみんなが草食系を好きなわけではないんですよ。私は強くてたくましい男性にひかれます。男性に頼りたい、後ろをついていきたいと思っている女性も本当は多いのではないでしょうか。見た目より精神的な強さを求めます。普段は優しい顔をしていても、いざという時に助けてくれる。そんな男性にドキドキします。」

 「私の父は、酔っぱらって千鳥足で帰ってきて玄関で寝ちゃう、みたいな人なんです。母はいつも「お父さん、ダメなんだから」と言いつつも、外では一歩下がって父を立てていました。家の中ではダメだけど、その分、外で頑張ってほしいという気持ちだったんだと思います。そんな姿を見て、男性が強く生きるためには、内助の功が必要なんだと思いました。」

 「私、男性がネクタイを緩めて、一息ついた感じが好きです。外で一生懸命戦って、自宅では取り繕わない姿を見せる。そんな部分も可愛いって感じちゃいます。」

 「本当に強いのは女性なのかもしれません。だから神様は、女性から腕力を取り上げたんじゃないかしら。男性のダメな部分を一方的に指摘して「強くなれ」と言うんじゃなくて、頼り、頼られ、補い合って生きていきたいな。そんな関係に憧れます。」

 この文章を読むだけで、慰められたり励まされると感じる男性は多いのではないだろうか。

 日本の男性の多くは、「男たるもの強くあれ。弱音を吐いたり泣くのは恥だ」と言われて育てられてきた。その背後にあったのは、戦前は農村社会での家父長制、戦後は男性正社員の終身雇用・年功序列制であった。

 しかし、これらは今では過去のものとなっている。給料は下がり、会社では上からも下からも、女性社員からも冷たくあしらわれ、リストラに怯えながら早朝から深夜までくたくたになって働いているのに、家では居場所がない、という人は少なくないだろう。中高年であることは今や尊敬の対象ではなく、「役に立たない」「給料だけが高い」、果ては「ダサい」「臭い」など否定的イメージの方が強い。

 その結果、男性、とりわけ中高年男性は、今や自己のアイデンティティを維持するのが難しくなっていると思う。
 自殺が男性、とりわけ働き盛りの年齢の男性に多いことは、そのことと関係があるのではないだろうか。
 その意味で、現代は「男性受難の時代」ではないかと思うのである。

 そんな男性たちにとって、温かい眼差しで送ってくれる安さんのエールは、「神様、仏様、観音様、マリア様」〈?)の天からの励ましのように感じられるのではないだろうか。

 〈以下、続く)

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