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カテゴリー「3-6 過労死等防止対策推進法」の29件の記事

2018年11月18日 (日)

№345 「エンマの願い」よ届け!──「過労死落語」の本が出版されました

1 最も非人間的で、あってはならない「過労死」と、庶民のお笑い、娯楽である「落語」を結びつけることができるのか。
 「過労死問題をテーマにした落語を作って上演してもらえませんか」、そんな無茶な相談を、私が小林康二さんにもちかけたのは、2001年4月ころだったと思う。
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 小林さんは、労働組合の元委員長であったが、早期退職して学校に通い、働く人々の立場に立った社会派落語を作り、演者を派遣する「笑工房」という会社を立ち上げていた。この年の9月に過労死弁護団全国連絡会議の総会が大阪担当で宝塚で開かれることが決まっており、そこで上演してほしいとお願いしたのである。私は落語については全くの素人であったが、上方落語の本場である大阪こそ、過労死落語の発祥の地にふさわしいと感じての依頼であった。

 小林さんは、「え~っ、そんなのできるんかなあ」などと言っていたように思うが、演者として白羽の矢を立てた桂福車さんを交えた3人で何度か打ち合わせをし、小林さんと福車さんによる落語作りが始まった。
 こうして生まれた落語「エンマの涙」は、過労死弁護団総会でネタ下ろしがなされ、大好評だった。
 ところが、テーマがやはり重いためか、この落語へのオファーは、その後ほとんどなかったという。
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2 次にこの落語が注目されたのは、私たちが2011年から本格的に始めた、過労死防止基本法制定の取り組みの中であった。
 当時、法律の制定を求めて「100万人署名」と「地方議会の意見書採択」の取り組みが全国で行われていたが、この世論を国会議員の方々に届ける「院内集会」を繰り返し行っていた。
 2012年11月20日の第5回院内集会で、国会議員を含む200人以上の参加者の前で福車さんが、法律制定用にリニューアルされた「エンマの怒り」を上演したのである。議員会館の大会議室に高座を作り、落語が演じられたのは、後にも先にも初めてではないだろうか。

3 私たちの運動が実り、2014年6月に過労死防止法が成立し、同年11月に施行されてからは、全国各地で開かれる過労死防止啓発シンポジウムで、さらにリニューアルされた「エンマの願い」が上演されるようになった(2016年度は全国5か所、「No.298 過労死防止啓発シンポジウム、今年は全国43か所で開かれる──「過労死落語」も目玉の一つに」)参照)。
 啓発シンポジウムは2017年度からは全都道府県と中央で国主催で行われるようになったが、36協定と過労死をテーマにした新作「ケンちゃんの夢」が加わり(「No.332 2017年 私の15大ニュース(その1)」)、演者も、福車さん以外に新たに笑福亭松枝さん、桂三風さんも加わって、全国13会場でこれら2つの過労死落語が上演された。
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4 この過労死落語に着目し、毎日新聞夕刊の「晴レルデ」というコーナーにに連載を開始してくれたのが、同夕刊編集長の松井宏員さんだった。松井さんは、福車さん、松枝さん、小林さんや私、さらには過労死防止法の制定にかかわった過労死遺族の人たちを粘り強く取材し、過労死落語とともに過労死問題を広く社会に知らせる記事を書いてくれた。
 連載は2017年5月から2018年9月まで、34回の長期に及んだが、その途中の2018年2月、福車さんが急死するという悲しい出来事も起こった。

5 このたび、この連載をもとに、桂 福車さんと松井宏員さんの共著の形で、「過労死落語を知ってますか」という本が新日本出版社から出版された(1300円(税別))。
 連載記事の抜粋のほか、「エンマの願い」の演目の再現、また、厚生労働省の雑誌に掲載された福車さんのインタビュー記事などが掲載されている。
 この落語の制作に当初から関わり、福車さん、小林さんと3人4脚で広げてきたと自負している私にとっても、本当に感無量である。
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 この本が多くの人に読まれ、また「過労死落語」が受け継がれていくことが、過労死はアカンという「エンマの願い」、そして福車さんの願いにもつながっていくと思う。

 ※写真は上から
 ①今般出版された本「過労死落語を知ってますか」の表紙
 ②過労死弁護団総会で「エンマの願い」を上演する桂福車さん(2016年10月8日付産経新聞)
 ③新作落語「ケンちゃんの夢」について私の事務所で打ち合わせをする福車さん(左下)、小林さん(左上)、寺西笑子さん(右下)と私(右上)(2017年11月11日付け毎日新聞夕刊)
 ④桂福車さんの一文(新ストップ!過労死全国ニュース第3号(2017・1・16付)


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2017年12月10日 (日)

No.331 過労死・過労自殺の正当な認定のために、認定基準の改正を

 現在、過労死・過労自殺(自死)が労働災害に当たるかどうかは、厚労省が定めたそれぞれの認定基準に基づいて、労働基準監督署が判断している。この認定基準の内容と運用が適切でなければ、過労死・過労自殺の遺族が切り捨てられるばかりか、労基署による是正勧告や刑事訴追、企業名公表といった措置も執られず、過労死・過労自殺を生み出す労働実態が改善されないことになる。

 現在の過労死(脳・心臓疾患)の認定基準は2001年12月12日に制定されたもので、既に16年、過労自殺(精神障害)の認定基準も2011年12月23日に制定されて、既に6年が過ぎている。また、内容的にも、私たち過労死弁護団からみて不十分な点や不合理な点も多い。

 例えば、脳・心臓疾患の認定基準では、発症前の時間外労働時間が100時間以上、2か月以上の平均で80時間以上という基準が一人歩きし、これを超えると認定されやすく、それを下回るとほとんど認定されないというのが実情であるが、例えば20歳の若者と65歳の高齢者が同じ基準でよいのだろうか。身体障害者と健常者はどうか。また、同じ時間外労働時間数でも、昼間と深夜、交替制労働では疲労が異なるのではないか。

 精神障害の認定基準についても、労働時間については同じことがいえる。また、いったんうつ病などの精神障害にかかった人については、それが「増悪」したか、いったん「治ゆ」したうえで「再発」したと認められるかで認定要件が全く異なるのは不合理である(「増悪」の場合は、初めて精神障害にかかった場合よりもはるかに厳しい「極度の長時間労働や「極度の心理的負荷」が求められている)。

 2014年に制定された過労死等防止対策推進法(過労死防止法)は、過労死等があってはならないとし、これをゼロにするために総合的な対策を執るとしているが、たくさんの過労死遺族たちが、この認定基準のハードルによって切り捨てられ、苦しんでいる。極端にいえば、認定基準のハードルを上げれば上げるほど、過労死等は「減らせる」のである。

 過労死防止法の附則第2項は、「この法律の規定については、この法律の施行後三年を目途として、この法律の施行状況等を勘案し、検討が加えられ、必要があると認められるときは、その結果に基づいて必要な措置が講ぜられるものとする。」としており、3年が過ぎたことから、「過労死防止を考える超党派議員連盟」で同法の規定の見直しが始まっており、また、これとあわせて改訂が行われる予定の「過労死等防止対策大綱」についても厚労省に設置された「過労死等防止対策推進協議会」で議論が始まっている。

 過労死・過労自殺の認定基準の改正は、法律や大綱の改定そのものではないが、過労死防止法14条は「政府は、過労死等に関する調査研究等の結果を踏まえ、必要があると認めるときは、過労死等の防止のために必要な法制上又は財政上の措置その他の措置を講ずるものとする。」としているのであるから、認定基準の然るべき改正が「過労死等の防止のために必要な法制上の措置」に当たることは明らかである。

 私が所属する過労死弁護団全国連絡会議では、本年9月29~30日に宮崎市で開かれた総会で、過労死弁護団としてこれら認定基準の改定案を作ることを決め、来年4月には公表できるようにすることを視野に、それぞれについて検討チームを設置し、議論を開始している。私は脳・心臓疾患のチームに所属し、議論に参加している。

 そのような問題意識から、10月28日に開かれた「第9回過労死等防止対策推進協議会」で私は、次のように発言した(議事録が厚労省のホームページに公開されている)。 

(引用開始) 171120img_8328

○岩城委員 弁護士の岩城です。私は4年目に入ろうとしている過労死防止の取組を大きく進める上で、過労死防止法14条の過労死等の防止のために必要な法制上又は財政上の措置としての心臓疾患と精神障害それぞれの労災認定基準の見直しが急務になっているのではないかということをお話をしたいと思います。

 過労死防止法2条は、過労死等について定義をし、このような過労死等はあってはならないということで、防止対策を定めております。他方、労基法、労基法の施行規則、労災保険法では、血管病変等、著しく増悪させる業務による脳・心臓疾患、心理的に過度な負担を与える自死を伴う業務による精神障害について、労働災害として補償を行うとしておりますが、これは過労死防止法における過労死、過労自殺の定義とほぼ同じものと考えられます。

 そして、厚労省や人事院、地方公務員災害補償基金は、これら認定のために、いわゆる認定基準を作って運用しており、これに基づいて労災と認定されたものが、いわゆる過労死、過労自殺の件数や事例として、今回の白書などでも取り扱われております。

 また、業務上認定がなされると、過労死を発生させたということで、刑事訴追や是正勧告等の監督行政が行われたり、企業名が公表されるなどして、過労死防止に向けた働きかけが行われております。

 そうであるならば、これらの認定基準は、社会的実態として発生している過労死、過労自殺を過不足なく、労災として認定するものでなければなりません。なぜなら、もし認定基準の要件が不当に厳しく、社会通念上は過労死防止法や労基法に定める過労死等であるにもかかわらず、認定要件の基準の要件に当てはまらないために、労災ではないとされると、当該事案は過労死等には該当しないとされ、遺族への補償もされず、また防止措置も取られないことになり、過労死の防止は進まないということになります。私は旧認定基準の時代に、3か月連続で100時間を超えた事案で、当時は直前1週間しか中心に見ないという制度の下で、業務外の認定がなされ、非常に悲しい思いをした記憶があります。
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 このような観点から、現在の過労死と精神障害の認定基準を見ますと、以下のような点が指摘できます。1つは、現行の認定基準は、脳心は2001年から実に16年、精神障害は2011年から既に6年が過ぎております。いずれも、過労死防止法が成立する前に制定されたものであり、過労死防止法の趣旨に合致するものかどうかの検証が十分とは言えません。また、その後の調査研究や、社会意識の変化の反映も担保されておりません。

 例えば、①脳・心臓疾患の認定基準では、80時間、100時間といった時間外労働時間を中心としており、80時間を下回る事案では、今回の白書33ページの表1-10を見ても、60時間以上~80時間未満の事例では、248件中わずか14件しか認定をされておりません。80時間というのは、事実上の足切りの基準になっているというのが実状です。
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 また、②労働時間を会社が適切に把握していなかったために、かえって労災認定が受けられないという不都合も生じております。さらに、 ③60歳、70歳といった高齢者や、身体障害や内部障害を抱える障害者であっても、若者や健常者と同じ100時間、80時間という時間外労働時間によって評価をされている。また、④出張のための移動時間、持ち帰り残業、自主的に疲れの取れない中途半端な中抜けの休憩時間といったものも、きちんと評価すべき仕組みがありません。さらには、⑤深夜交替制勤務や不規則な勤務、精神的な負荷の強い勤務などの質的過重性が、事実上軽視されているといった問題もあります。

 このように、一方では過労死防止法で過労死をなくすという宣言をしながら、他方で、明らかに社会的に見れば過労死とされる事案が十分な評価を受けられていないという問題があることから、認定基準の見直しについて御検討いただけないかということで、厚労省のほうに御質問したいと思います。

○岩村会長 では、厚労省の方、いかがでしょうか。今日、担当部局が来ていないので難しいかとは思いますけれども、可能な範囲でお願いします。

○村山総務課長 御意見は、担当の部局にもしっかり伝えたいと思います。他方で、現行の認定基準は多数の訴訟の中でも業務上外判断の規矩準縄として一定認められてきている、そういう積み重ねもあろうかとは思います。いずれにしても、御意見があった点については、しっかり担当の方に伝えたいと思います。
(引用終わり)

 ※画像は、10月28日の第9回過労死等防止対策推進協議会の会合の様子


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2017年11月12日 (日)

No.330 マー君の詩「ぼくの夢」が歌になりました

 皆さんは「ぼくの夢」という詩をご存じだろうか。
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 この詩は、2000年3月にお父さんを過労自死で亡くした、当時6歳(小学1年生)の「マー君」が書いた詩である。お父さんの命をどうすれば救うことができたのか、小さな胸を痛めながら考えたこの詩は、読む者の心を打つ。
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 2011年11月から始まった過労死防止法制定を目指す取組みで、私たちは「100万人署名」の署名用紙にこの詩を掲載し、また衆議院の厚生労働委員会でこの詩が読み上げられて紹介されるなど、過労死防止法制定運動のシンボルとなった。
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 マー君は、中学3年のときに書いた「命こそ宝」と題する作文の中で、6歳の時のこの詩も紹介しながら、「僕は、仕事のための命ではなく、命のための仕事であると考えます。」と訴えた(この作文は、大阪人権博物館の「労働者の権利」のコーナーで常設展示されている)。
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 私たちは、この「ぼくの夢」を歌にすることができないか、かねてから願っていたところ、今般、宮崎県在住の山本友英さんが作曲し、歌手グループの「ダ・カーポ」さんが、マー君の中学3年の時の作文をもとにした2番・3番の歌詞とともに歌ってくださり、私たちの願いが実現したのである。

   ぼくの夢 ~ある過労死遺児の詩~

      作詩:マー君  作曲:山本友英 編曲:渡辺雅二
      歌:ダ・カーポ

大きくなったら ぼくは 博士になりたい
そしてドラえもんに出てくるような
タイムマシンを 作る
ぼくは タイムマシンに乗って
お父さんの死んでしまう 前の日に行く
そして 仕事に 行ったらあかんて 言うんや

大きくなっても ぼくは 忘れはしないよ
得意な顔して作ってくれた
パパ焼きそばの 味を
ぼくは タイムマシンに乗って
お母さんと一緒に 助けに行こう
そして 仕事で 死んだらあかんて 言うんや

仕事のための命じゃなくて
命のための仕事だと ぼくは伝えたい
だから 仕事で 死んだらあかんて 言うんや

 曲も、2・3番を含めた歌詞もすばらしいし、ダ・カーポさんの優しく柔らかい歌声はこの歌にぴったりだと思う。
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 CDは限定200枚の製作で非売品なので市販されていないが、この11月に行われている各地の啓発シンポジウムのオープニングで流されるなど、今後様々なところで紹介されていくことと思う。
 この楽曲が、今後の過労死防止の取組みに生かされていくことを願ってやまない。

 なお、ダ・カーポさんから楽譜をいただき、私が素人ながらそれをギターの弾き語り用にシンプルにした楽譜を作ってみたので、ご希望の方は、私の事務所(いわき総合法律事務所)まで、メール又は電話にてお問い合わせください。

 ※画像は上から、
 ①「ぼくの夢」のCDの装丁
 ②「100万人署名」の署名用紙
 ③その中の「ぼくの夢」の詩
 ④CDの裏表紙のイラスト
 ⑤「ぼくの夢」のCD


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2017年11月 4日 (土)

No.329 過労死防止啓発シンポ大阪会場、参加者・内容とも充実

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 連休前日の11月2日、大阪・梅田にあるコングレコンベンションセンターで「過労死等防止対策シンポジウム大阪会場」が開かれた。
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 2014年に成立・施行された過労死等防止対策推進法(過労死防止法)は、毎年11月を過労死等防止対策推進月間と定め、毎年11月を中心に国(厚労省)主催で各地でシンポジウムが行われることになった。4回目となる今年、ついに全47都道府県+中央会場の計48の会場でシンポジウムが実現することになっている。
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 国主催といっても、実質的には各地の過労死家族の会、過労死弁護団、各種労働団体等が地元の労働局と協力し合って準備をする。大阪では、これらの要である過労死防止大阪センターが準備を担ってきた。
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 大阪では、昨年は、電通の高橋まつりさんの過労自死事件が大きく報道された直後ということもあって、486人という全国一の参加者があった。今年はどうかなあと少し心配もあったが、ほぼ昨年に近い参加者があった。その大半が企業からの参加者と見受けられ、啓発活動が大きく広がっていることを実感した。
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 シンポジウムは、大阪労働局の小島敬二労働基準部長の主催者あいさつの後、大阪労働局労働基準部監督課の神田哲郎主任観察監督官から、「大阪労働局の過労死防止の取組」と題して、詳細な報告がなされた。大阪で30年にわたって労働基準監督官として監督行政を担当してこられた方だけに、大阪への熱い思いを感じた報告だった。
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 続いて、大和田敢太滋賀大学名誉教授が「過労死とハラスメント」と題して基調講演をされた。大和田先生のお話で、次のようなことが印象に残った。

・日本では企業経営のあり方・構造的原因から長時間労働・過重労働とハラスメントが生まれていて、この2つが「負のスパイラル」となって過労死・過労自殺を発生させている。
・ハラスメントとは、「労働者に対して、精神的又は肉体的な影響を与える言動、措置、業務によって、人格や尊厳を侵害し、労働条件を劣悪化しあるいは労働環境を毀損する目的又は効果を有する行為や事実」と広くとらえるべきである。
・過労死・過労自殺させるような長時間・過重労働をさせること自体がハラスメントである。
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・ハラスメントは企業経営のあり方から生まれるもので、対人関係の問題と捉えるべきではない。被害者は企業内ではハラスメントから逃れられないし、実行者は企業の中によく溶け込んでいて十便な信頼を得ているため、その行動を容易に正当化する。
・パワハラという言葉は、パワーそのもの(教育・指導)自体は悪いものではなく、その行き過ぎが悪いという誤った考えを助長する。
・「パワハラにならない指導や叱り方」や「どのような行為がパワハラにあたるか」という発想自体が、加害者側の立場に立つものである。
・ハラスメントは、社会的な問題としての法規制と、企業経営にかかわる問題として経営責任により廃絶することは可能である。
 このように、気づかされることが多いお話であった。
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 休憩の後、過労死防止全国センターと大阪センターの共同代表でもある関西大学名誉教授の森岡孝二先生から「過労死防止法制定から3年、取組と現状」と題する報告がなされた。1988年の最初の「過労死110番」での相談者アンケートの照会から、労災請求状況にもる過労死の現状、過労死防止法成立の経緯などを話され、最後に「賢い労働者になろう」と呼びかけられた。

 続いて4人の過労死遺族から、自らの体験に基づく過労死防止の訴えがあり、どのお話も参加者の心を打った。
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 最後に、過労死防止大阪センターの共同代表でもある松丸正弁護士が閉会のあいさつ。その中で松丸弁護士は、労働基準法の労働時間規制は岩盤規制ではなく既に液状化している。労働時間の適正把握をしないまま自分の会社を評価するのは、壊れた体温計で体調をはかるようなもの。今や、過労死・過労自死を発生させることは、企業価値そのものを損なう時代になっていると訴えた。

 同じ日に、神奈川と栃木でもシンポジウムが行われた。これから各地で次々とシンポジウムが行われる。
 各地のシンポジウムの日時・内容・申込みは、こちらに掲載されているので、ぜひご参加ください。


 ※画像は上から、
 ①今年度の大阪会場のチラシ(表)
 ②会場の様子
 ③司会を務めてくださった坂口智美さんと山中有里弁護士
 ④主催者あいさつをされる小島敬二さん
 ⑤報告をされる神田哲郎さん
 ⑥基調講演をされた大和田敢太先生
 ⑦大和田先生のレジュメより
 ⑧報告をされる森岡孝二先生
 ⑨閉会あいさつをされる松丸正弁護士


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2017年8月14日 (月)

No.322 「過労死遺児交流会 in 池の平」に参加してきました

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 8月8日~10日の2泊3日で、長野県の池の平(白樺湖畔)で行われた過労死遺児交流会に参加してきた。
 過労死遺児交流会は、全国過労死家族の会の会員の遺児(大学生程度まで)とその保護者を対象に、平成28年度から国の事業として行われることになり、今回が2回目である。
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 通常、過労死・過労自死は突然起こり、遺された配偶者(親)は精神的・経済的な困難、一人での子育ての困難、更には労災申請や裁判などの困難を抱えるが、子どもたちもそれまでの暮らしを突然奪われ、悲しみや不安、恐れなどによって成長上、大きなダメージを受ける。また、レジャーなどで外に遊びに出る機会も減る。
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 そこで、同じ体験を持つ親子が集まり、子どもたちは年齢を超えて交流しあい、親たちも専門家の助言も受けながら、子育てや労災の苦労を語り合う場として、「遺児交流会」が始まったのである。
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 もともとは、2002年から始まった年1回の「大阪過労死家族の会一泊交流会」に子ども連れで参加した遺族のために、2004年ころから交流会の一部として遺児交流のプログラムが始まったが、2008年ころから「遺児交流会」として独立して行われるようになった(たぶん、2008年3月の東京ディズニーランド行き(10家族26人)が最初ではなかったかと思う)。
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 そして、2014年に過労死等防止対策推進法(過労死防止法)が成立し、過労死等防止対策の一つである民間団体支援の一環として、2016年度から国の事業として行われることになった。私は今回、初めて準備委員として参加したのである。
 長年、過労死遺族の交流や遺児交流に関わってきた私にとって、感無量だった。
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 初回となる前回(2016年12月25日~27日)は、山梨県の清里でスキー体験が中心だったが、今回は夏に長野県の池の平(白樺湖畔)で行われた。
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 参加者の多くは東京駅と名古屋駅にそれぞれ集合し、バスで宿泊会場の池の平ホテルに向かった。私は名古屋組に加わってバスに乗ったが、バスの中でもビンゴゲームをしたりアニメのDVDを観たりと、子どもたちは大喜びだった。
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 1日目の夜は参加者の自己紹介と花火見学、メインの2日目は子どもたちはカヌー(午前)と乗馬・釣り(午後)、親たちはグループトークと希望者に対する個別相談、昼食は参加者全員でバーベキュー、夕方はマジックショーとクロージングセレモニー、という充実したメニューだった。
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 私は親たちとのグループトークや個別相談に参加したので、屋外でのアクティビティには参加できなかったが、子どもたちはすぐに仲良くなり、年上の子が年下の子の世話をするなど、昔の子ども会のような和気あいあいとした雰囲気で、胸が熱くなった。
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 親たちのグループトークでは、それぞれの自己紹介と体験を語り合い、お互いに励まし合っていた。私は個別の法律相談を担当し、2人の方の相談を受けた。
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 参加した家族は20家族くらいで、私たち準備委員や厚労省の担当者、学生ボランティア、受託事業者のプロセスユニークの人たちも加えると、総勢70人くらいだっただろうか。
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 2日目の夜のイベント終了後、一部の親御さん、準備委員、ボランティアやプロセスユニークの人たちと事実上の打ち上げ会をして、遅くまで語り合ったのも楽しかった。
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 楽しい2日間はあっという間に過ぎ、3日目の朝、みんなでお別れをするのは少し寂しかったが、また来年、一回り成長した子どもたちや、元気な親たちに会えることを楽しみにしたい。
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 ※画像は上から
 ①今回の遺児交流会のしおり 表紙
 ②同 保護者向けプログラム
 ③同 スケジュール
 ④家族の会一泊交流会での遺児交流の一コマ(2005年7月)
(1日目)
 ⑤バスに乗って出発
 ⑥社内でのビンゴゲーム
 ⑦自己紹介(オープニングセレモニー)
 ⑧花火
(2日目)
 ⑨グループトーク
 ⑩・⑪お昼のバーベキュー
 ⑫マジックショー
 ⑬残念だけど、帰りのバスへ
 ⑭車窓からの白樺湖

 (なお、参加者の顔にはモザイクを施してあります。)

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2017年3月10日 (金)

No.315 「過労死を考える香川のつどい」大成功!

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 3月6日、香川県高松市の社会福祉総合センター7階大会議室で、「過労死を考える香川のつどい」が行われた。
 このつどいは、東京の過労死遺族の中原のり子さんが香川大学医学部の先生方のルート、私が香川県内で労働問題に関わる弁護士のルートで声かけをし、昨年12月ころからこれが合流して実行委員会ができ、開催に至ったものである。

<過労死を考える香川のつどい>

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日 時:2017年3月6日(月)18:30~20:45
場 所:香川県社会福祉総合センター 7F 大会議室
プログラム:
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(1)主催者あいさつ 平尾智広 香川大学医学部教授
(2)来賓あいさつ
  香川労働局 村野労働基準部長
  香川県健康福祉部 星川洋一参事
(3)香川労働局からの報告 香川労働局 片山監督課長
(4)講演
  ①電通事件などに見る過労死の現状と防止のための課題
    岩城 穣 弁護士(過労死防止全国センター事務局長)
  ②過労死防止法制定にかけた遺族の思い
   中原のり子(東京過労死家族の会代表)
  ③香川県の過労死、過重労働の現状と産業保健スタッフの取り組み
    矢野智宣 医師(香川産業保健総合支援センター)
(5)過労死遺族の体験談
  ・Oさん(徳島県在住)
 ・Sさん(高知県在住)
(6)パネルディスカッション、質疑応答
(7)閉会あいさつ(重 哲郎弁護士)
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主催:過労死を考える香川のつどい実行委員会
代表:平尾智広(香川大学医学部)
委員:平尾智広(香川大学医学部)、西屋克己(香川大学医学部)
    重 哲郎(重哲郎法律事務所)、藤本孝英(高松あさひ法律事務所)
事務局:高松あさひ法律事務所(香川県高松市塩上町1-2-30三宅ビル2階)
Tel:087-802-2463 / Fax:087-802-2473

共催:香川産業保健総合支援センター、香川大学医学部公衆衛生学
後援:香川労働局、香川県、香川県医師会、香川県社会保険労務士会、全国過労死を考える家族の会、過労死弁護団全国連絡会議

 いったい何人が参加してくれるか心配しながら会場に向かったが、90人を超える参加者があった。
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 私の報告では、過労死とは、過労死問題の歴史、過労死防止法の意義、過労死の現状と課題、過労死の具体的事例などについて全般的にお話しするよう努めた。
 小児科医だった夫を過労自死で亡くし、自身の行訴・民訴の闘いのあと過労死防止法制定運動に奔走した中原さんのお話は、心に迫るものだった。
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 香川県としての来賓あいさつや、香川県の過労死、過重労働の現状と産業保健スタッフの取り組みについて報告がなされたことは、全国的にみても大変画期的であった。

 夫を過労死で亡くした徳島のOさん、息子さんを過労自死で亡くした高知のSさんのお話もよかった。
 私も含め、登壇した人たちが少しずつ時間オーバーしたため、パネルディスカッション・質疑応答の時間がなくなったうえ、終了時刻が午後9時を少し回ってしまった。関係者の皆様に深くお詫びを申し上げたい。

 この香川のつどいは、全国47都道府県で46番目の開催であり、この4月に予定されている福島県で開催されれば、全都道府県で行われることになる。過労死防止法制定以降、過労死防止全国センターとして全都道府県でのシンポ開催を追求してきただけに、本当に嬉しく思う。

 もう一つ、うれしかったのは、この日、愛媛、徳島、高知の3県の過労死遺族が顔合わせをし、「四国過労死家族の会」の結成に向けて動き出すことになったことである。
 これまで、九州と四国には家族の会がなかったのであるが、昨年11月に「東九州過労死家族の会」が結成された。今回、四国に家族の会ができれば、四国での過労死の救済と予防のために大きな意義があると考えている。
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 つどい終了後、準備にかかわった実行委員の皆さん、登壇者の皆さんと打ち上げ懇親会を行った。皆さんと語りながらいただいた料理とお酒は、最高であった。
 お世話になった皆様、本当にありがとうございました。
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※画像は上から
 ①つどいのチラシ
 ②会場の様子(前方から)
 ③主催者あいさつをする平尾智広教授
 ④会場の様子(後方から)
 ⑤講演をする私
 ⑥講演をする中原のり子さん
 ⑦懇親会(仲見世)にて
 ⑧翌日帰りの電車から見た瀬戸内海


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2017年2月15日 (水)

No.312 政府案は、過労死防止にならない

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 2月14日、政府の「働き方改革実現会議」が開かれ、そこで政府が示した案では、残業時間を原則月45時間などと定めるものの、「特例」として労使協定(36協定)を結べば、繁忙期にはこれを超えてもよく、残業時間を年720時間(月平均60時間)まで認めるとしている。

 しかし、これでは全く過労死の防止にならないし、刑事罰を科すことは極めて困難である。
 例えば、次のような例を考えてみよう。

 Y社では、繁忙期には年間720時間まで残業させてもよいとする労使協定を結んでいた。Aさんは、ある年の1月から、次のような時間外労働をした。

   1月 80時間
   2月 75時間(1月からの累計155時間)
   3月 80時間(1月からの累計235時間)
   4月 75時間(1月からの累計310時間)(9月からの逆累計465時間、6か月平均77.5時間)
   5月 80時間(1月からの累計390時間)(9月からの逆累計390時間、5か月平均78時間)
   6月 75時間(1月からの累計465時間)(9月からの逆累計310時間、4か月平均77.5時間)
   7月 80時間(1月からの累計545時間)(9月から逆累計235時間、3か月平均78.3時間))
   8月 60時間(1月からの累計605時間)(9月からの逆累計155時間、2か月平均77.5時間)
   9月 95時間(1月からの累計700時間)
 9月30日、疲労困憊で帰宅したAさんは、翌朝未明、急性心筋梗塞を発症して死亡した。


 このケースでは、Aさんの時間外労働時間は、①発症1か月前は100時間に至らず(95時間にとどまる)、②発症前2か月前から6か月前まで順次平均しても80時間に達しないため、現行の過労死認定基準を満たさない。そして、③時間外労働時間の累計が年間720時間に達する前(700時間)で死亡したため、刑事罰も受けないということになるのである。
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 仮にAさんが、9月にあと5時間時間外労働をしていたら①の「発症1か月前100時間」の基準を満たしたことになるし、7月にあと5時間、又は6月と5月であと10時間の時間時間外労働をしていたら②の「発症前2か月から6か月で平均80時間」基準を満たしたことになる。そして、10月に入ってあと20時間働いていたら、累計時間外労働時間が、刑事罰を受ける年720時間を超えたことになる。

 上記のうち労災認定に関する部分は現在も同じであり、このような不都合な例は実際に数多くあるが、これを法律をもって正当化することになる。
 また、刑事罰に関する部分(年間720時間を超えると処罰する)は、今回初めての導入となるが、刑罰法規の運用は厳密になされなければならないから、「Aさんが持ちこたえてあと20時間時間外労働をしていたら有罪となるが、その前に倒れたから無罪」となるのは当然ということになる。

 このような結果をもたらす政府案が、過労死防止に役立つとは到底思えない。かえって、「100時間、80時間ギリギリまで働かせても問題ない」というお墨付きを与え、また、今でさえまともに行われていない労働時間の管理・把握を、いっそう杜撰にした方が得だということにならざるを得ない。
 国に過労死防止の責務を負わせた「過労死等防止対策推進法」のもとで、このような、いわば「過労死推進法案」が認められてよいはずはない。

【2月18日追記】
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 2月17日の衆議院予算委員会で、大西健介議員が、私のこの設例を取り上げて安倍首相に質問をした。
 前々日の2月15日に、この私のブログ記事をご覧になった大西議員から、「質問に使わせてほしい」との要望があった。大変光栄なことであり、もちろん了解した。
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 予算委員会での質疑を録画しておき、見せていただいた。
 年間720時間の時間外労働の規制と、1か月100時間、2か月から6か月平均で80時間という過労死ラインを上限にしただけでは、このような過労死事例を防げないのではないかという大西議員の質問に対し、安倍首相の答弁は、「大西委員の設例はいわば架空のものにすぎない」、「時間外労働を延長する特別な事情があるかどうかについては、現場のことをよく知っている労使が決めるので問題ない」といった、逃げの答弁に終始した。
 一方で首相は、「働き方改革実現会議で、労使の合意が得られなければ国会に提案しない」という趣旨の答弁もしていた。これは、反対を押し切って決定するつもりはないという反面、「合意が得られないのであれば上限規制の立法自体をやめますが、いいんですか」という脅しともとれた。
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 私たち過労死事件に取り組む弁護士にとっては、この設例のような事例はしばしば見受けられ、決して机上の空論ではない。にもかかわらず、首相の答弁は、そのような現場の実態を無視するものであり、真に過労死を防止する働き方改革をする意思などないのではないか、という疑いを拭えないものであった。

 この設例を使って追及してくださった大西健介議員に、心から感謝したい。


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2017年2月12日 (日)

No.311 真に過労死を防止できる労働時間規制を!~長時間労働の規制を求める院内集会に350人~

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◆2月10日、衆議院第一議員会館の地下大会議室で開かれた「高プロ・裁量労働制の規制緩和に反対し、真に実効性のある長時間労働の規制を求める院内集会」(日本労働弁護団、過労死弁護団全国連絡会議、全国過労死を考える家族の会の3団体主催)に参加してきた。
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 院内集会というのは、衆議院に2つ、参議院に1つある議員会館で、市民と国会議員が一緒に参加する集会のことで、国民・市民の声を国会に届ける重要な場である。
 私達が過労死等防止対策推進法(過労死防止法)を議員立法で制定する運動をしたときは、2010年10月から2014年6月の法律の制定までの間に、合計11回の院内集会を開き、毎回たくさんの国会議員の方々に参加していただいたことが、議員連盟の結成につながり法律制定の大きな力になった。
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◆この日は各地で大雪が降る寒い日で、新幹線も少し遅れたが、何とか開始までにすべり込むことができた。会場に着くと、入りきれないほどの参加者で、後に350人と発表された。私たちが開いてきた院内集会は200名前後から最大で274名だったから、今回の参加者数の多さがわかる。
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◆主な進行次第は、次のようなものであった。
・開会挨拶 日本労働弁護団 (弁護士)棗一郎幹事長
・報告 過労死弁護団全国連絡会議 (弁護士)川人博幹事長
・電通事件ご遺族(高橋幸美さん)からのビデオメッセージ
・長時間労働による被害者など当事者の声 2人(過労自殺で26歳の長男を亡くした高知県在住の男性、三菱電機の研究所で過重労働により精神疾患を発症し労災認定を受けた31歳男性)
・報告 全国過労死を考える家族の会 寺西笑子代表
・報告 森岡孝二関西大学名誉教授
・報告 労働団体3団体(連合、全労協、全労連)
・集会アピール採択
(終了後、厚労大臣・副大臣、公明党代表・副代表へ資料を持参)
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◆この合間合間に、以下の13人の国会議員の皆さんが次々と会場に来られ、挨拶をされた(もし抜けている方がおられたらお詫びします。)。
 蓮訪(参、民進)、山井和則(衆、民進)、長妻昭(衆、民進)、大西健介(衆、民進)、泉健太(衆、民進)、井坂信彦(衆、民進)、田村智子(参、共産)、高橋千鶴子(参、共産)、吉良佳子(参、共産)、長尾敬(衆、自民)、福島みずほ(参、社民)、牧山ひろえ(参、民進)、阿部知子(衆、民進)

 この中で、過労死防止を考える超党派議員連盟の事務局長をされている泉健太議員の「今日この場に、与党議員の方にこそ来てほしかった。」という言葉が、私にとって印象的だった。
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◆日本労働弁護団の棗(なつめ)一郎幹事長の挨拶のあと、過労死弁護団全国連絡会議の幹事長で電通の高橋まつりさん事件の代理人でもあった川人博弁護士が報告した。

 川人弁護士は、電通で過労自殺した高橋まつりさんの労働実態を報告し、「上限100時間、80時間はあってはならない。もっと低いレベルでないといけない。これが、電通事件で明らかになった教訓だ」と批判するとともに、過労死対策の決定打として、勤務と勤務の間に一定の「休息時間」を義務付ける「インターバル規制」の導入を訴えた。
 また、政府が導入しようとしている、一部専門職を労働時間規制の対象から外す「高度プロフェッショナル制度(高プロ制)」の導入や、「裁量労働制」の拡大について、「裁量労働制が導入された職場でも過労死は発生している。ほとんどの場合、10時間以上働いても、8時間労働とみなされる。当然、裁量労働制度の導入は長時間労働を促進する。」、「高プロは労働法そのものの破壊といってもよい。長時間労働で高度のプロの仕事が果たせるのか。過労死寸前の長時間労働を繰り返すことで、日本の技術革新や企画開発が本当に促進されるのか」と批判した。

◆続いて、電通過労自死・髙橋まつりさんのお母様からのビデオメッセージが流された(以下全文)。


 はじめまして。髙橋幸美と申します。
 亡き娘まつりの過労死について、多くの励ましの言葉をいただき、ありがとうございます。
 この場をお借りして、厚く御礼申し上げます。
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 娘は、たくさんの夢を抱いて社会に出てから間もなく、望みを叶えることなく、亡くなってしまいました。
 母である私は、会社から娘を守ることができませんでした。悔しくてなりません。
 娘は、一日2時間しか、一週間に10時間しか眠れないような長時間労働の連続でした。この結果、疲れ切ってしまい、うつ病になり、いのちを絶ちました。
 娘のように命を落としたり、不幸になる人をなくすためには、長時間労働を規制するための法律が、絶対必要だと思います。
 36協定の上限は、100時間とか80時間とかではなく、過労死することがないように、もっと少ない残業時間にしてください。
 また、日本でも、一日も早く、インターバル規制の制度をつくり、労働者が、睡眠時間を確保できるようにして下さい。
 残業隠しや36協定違反などの法令違反には厳しい罰則を定めるのが大事だと思います。

 逆に、労働時間の規制をなくす法律は、大変危険だと思います。
 高度プロフェッショナル制や裁量労働制など、時間規制の例外を拡大しないでください。
 24時間365日、休息を取らずに病気にならないでいられる特別な人間など、どこにもいないからです。人間は、コンピューターでもロボットでもマシーンでもありません。
 娘のように仕事が原因で亡くなった多くの人たちがいます。それが日本の現実です。
 経済成長のためには、国民の犠牲はやむをえないのでしょうか。
 今の日本は、経済成長のために国民を死ぬまで働かせる国になっています。
 娘は戻りません。娘のいのちの叫びを聞いて下さい。
 娘の死から学んで下さい。死んでからでは取り返しがつかないのです。
 ぜひ、しっかりと議論をして、働く者のいのちが犠牲になる法律は、絶対につくらないでください。

◆和光大学教授の竹信三恵子さんは、「WEBRONZA」の記事(2017年2月7日付け)の中で、次のように述べている。まさに、言い得て妙だと思う。
 http://webronza.asahi.com/business/articles/2017020300001.html
「今回の政府案をスピード違反に例えるなら、制限速度45キロを守らないと重大事故が起きかねない道路でのスピード違反を規制するとして、「80キロ、100キロを超えたら罰金」と立札だけは立て、監視装置も沿道の警察官も増やさないようなものだ。これでスピード違反を取り締まれるのだろうか。

 規制だけでなく、全企業に罰則付きの客観的な労働時間の把握・記録義務を課し、監督官だけでなく労働行政の担当官全体も増やさなければ、実効性は担保できない。」

「労基法で規定された週40時間労働の基準が、「働き方改革」の名の下、知らぬ間に月80時間・100時間残業の基準へとすり替えられていくおそれはないのか。
 「総活躍」とは、だれもがそうした残業を前提とする働き方で目いっぱい働かされることにならないか。
 「働き方改革」が「過労死促進改革」にならないよう、今後の関係会議の動きを監視していく必要がある。」


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2017年1月18日 (水)

No.308 誇らしい3人の過労死事件「卒業生」たち

 私にとって、過労死事件(過労死の労災認定、企業に対する民事訴訟など)は、弁護士としてのライフワークとなっている。強い責任感でまじめに働いた末に、突然訪れる理不尽な死。相談に来る遺族の目は、悲しみとやり場のない怒り、愛する人の死を止められなかった自責の念にうるんでいる。

 そんな傷ついた遺族を励まし、弁護団を組み、労災申請や行政訴訟、民事訴訟に取り組む。遺族たちだけでなく、私たち弁護団にとっても辛く、苦しい闘いである。そして結果は、認定や勝訴を勝ち取れる場合もあれば、残念な結果に終わる場合もある。

 かくして事件が決着すれば、依頼者は原告でなくなり、私たちの任務は終わり、弁護団は解散する。寂しさも感じるが、遺族が次のステージに進んでいく以上、それはやむを得ない。中には、元弁護団に声をかけて、「同窓会」を開いてくれる遺族もいて、とても嬉しいことである(かつて担任をした卒業生たちから同窓会に招かれる先生の気持ちがわかる気がする。)。

 しかし、闘いの中で過労死家族の会や過労死を防止する活動に関わり、過労死問題の社会問題としての本質を学び、自分の事件が終わった後も、家族の会などで後に続く人たちの力となり、また過労死を亡くすために社会に働きかける活動を共に担ってくれる「同志」になってくれる人たちがいることは、私にとって本当に誇らしい。

 そんな最高の「卒業生」として、次の3人を紹介しておきたい。

 1人目は、寺西笑子さん。京都の和食店チェーンで店長として働いていた御主人を過労自殺で失い、労災認定の闘いに続き、会社と社長を被告として民事訴訟を闘い、勝利和解を勝ち取られた。10年に及ぶ闘いを終えた翌年(2007年)の寺西さんからの年賀状には、「なごり惜しいけれど原告を卒業します。」と書かれていた。そして寺西さんは、過労死家族の会の活動に本格的に関わり、「全国過労死を考える家族の会」の代表に就任。全国の過労死遺族たちを惜しみなく支援するとともに、過労死防止法制定運動に共に取り組んだ(「No.64 朝日新聞の「ニッポン人脈記」に紹介されました」、「No.77 東京新聞に「過労死防止法」の取り組みが紹介されました」)。ジュネーブの国連社会権規約委員会の会議にも参加し、国会の厚生労働委員会でも意見陳述をされ(「No.187 「過労死防止法」いよいよ制定への最終ステージへ!──(その2)5/23衆議院厚生労働委員会で意見陳述と満場一致採択!」)、法律制定後は過労死遺族の全国の顔として、押しも押されぬ大黒柱となっている。

 2人目は、小池江利さん。和歌山県内の老人介護福祉施設で事務責任者をしていたご主人を過労死で失い、寺西さんと同じく労災認定と民事訴訟を闘い、一審和歌山地裁で勝訴判決(「No.251 和歌山の介護老人施設職員過労死事件で勝訴判決!」)、二審大阪高裁で勝利和解を勝ち取った。和歌山県在住にもかかわらず、闘いの中で大阪過労死家族の会に入会し、過労死防止法制定の署名活動に熱心に取り組み、和歌山県議会、和歌山市議会、有田町議会の3つの地方議会で「過労死防止基本法の制定を求める意見書」の採択を実現した(「No.159 「過労死防止基本法の制定を求める意見書」を和歌山県と和歌山市が同時採択!」)。2015年4月からは大阪過労死家族の会の代表に就任した小池さんは、勝利記念文集の中で、「近い将来、日本、世界中で過労死がなくなり、私達のような苦しい思いをする遺族がいなくなるように願い、過労死問題は私の一生の課題であると決意を新たにしています」と述べている。

「過労死の悲しみ、もう二度と」法整備訴え署名活動(2013年11月8日付け読売新聞) http://blog.goo.ne.jp/stopkaroshi/e/737ff6eb0d3b52bf9e966b9380e66788

 家族を過労死で亡くした遺族らが7日、「過労死防止基本法」の制定を国に求める意見書を有田川町議会の議長らに手渡した。議会での採択を求めており、広川町の介護老人福祉施設で働いていた夫(当時49歳)を亡くした主婦小池江利さん(51)(有田川町)は「夫の死を無駄にしたくない」と活動に励んでいる。(落合宏美)

 2003年から事務職として働いていた小池さんの夫は、10年10月、残業中に脳動脈瘤(りゅう)破裂が原因のくも膜下出血で倒れ、8日後に亡くなった。11年6月に御坊労働基準監督署から労災認定を受けた。

 就職してから本来の業務である経理に加え、ヘルパーの資格を生かした業務や宿直もこなし、休日に出勤することも少なくなかった。小池さんが「きちんと休んで」と訴えても時間が取れないようで、ほぼ毎日4、5時間は残業していたという。「まじめで責任感が強い人でした」と振り返る。

 小池さんは、そうした夫の仕事ぶりに疑問を抱き、「過労死110番」に相談。弁護士の紹介で入会した「大阪過労死を考える家族の会」(大阪市)で、同じ境遇の遺族らと出会った。

 「過労死と認められても大切な人が戻らない現実に、『無理にでも仕事を辞めてもらっていれば』と遺族は自分を責める。こんな思いをもう誰にもしてほしくない」と、同法制定に向けた署名活動などに参加するようになった。

 遺族や弁護士らでつくる同法制定実行委員会は、国や企業に過労死を防止する責任があることなどを明記した過労死防止基本法の制定を求める活動を11年にスタート。今年6月には同法制定を目指す超党派の国会議員連盟が結成され、開会中の臨時国会への法案提出を目指している。


 3人目は、桐木弘子さん。宮崎県で23歳の息子さんを過労自殺で失った桐木さんは、労災申請から国を被告とした行政訴訟(「No.69 宮崎の地で、過労自殺行政訴訟を提訴」、「No.195 過労自殺させた会社と、防止できなかった労基署の「醜い野合」」)、会社に対する民事訴訟(「No.211 宮崎ホンダ23歳青年過労自殺事件、民事訴訟でも証人尋問──問われる裁判所の「眼力」」)のすべてが不当にも認められなかったが、各地の過労死防止啓発シンポジウムで遺族として発言し、2016年11月に「東九州過労死家族の会」を結成し、その代表に就任した。桐木さんは、過労死防止全国センターのニュースの中で、「インターネットで、「大阪過労死を考える家族の会」と出会うことができ、労災申請から裁判まで、たくさんの方達の支援を受けて闘うことができた」、「息子の死を無駄にしないために、今度は私が、被災者や遺族のためにこの経験を生かし、地元に家族会を作ろうと決心しました」と述べている。

過労死の悲劇なくそう 「東九州家族の会」発足 (2016年11月23日付け大分合同新聞) https://www.oita-press.co.jp/1010000000/2016/11/23/JD0055222907

 過労死をなくそうと、大分・宮崎両県の遺族らが22日、「東九州過労死を考える家族の会」を立ち上げた。結成集会が大分市のホルトホール大分であり、過労死を生まない社会にするための啓発活動や遺族支援に取り組んでいくことを誓った。
 会員は、家族を失った大分・宮崎の遺族5人と弁護士9人の計14人。代表に桐木弘子さん(59)=宮崎県川南町、副代表に野本幸治さん(74)=大分市=を選んだ。桐木さんは「手を取り合い、周りの力を借りながら頑張っていきたい」と決意を述べた。
 同会は、過重労働に苦しむ人や遺族からの相談を受ける他、啓発活動に力を入れる。会員が労災申請する際などには、孤立しないよう心理的支援や情報提供をして寄り添う。九州全体に活動を広げる方針。
 2007年に次女(当時31歳)を労災で亡くした野本さんは「娘の死を無駄にしないために、過労死を防ぐ活動を夫婦でしたいと思っていた」と話す。設立が具体化してきた今年8月、妻の美千世さんをがんで亡くした。「『やっとできたね』と妻も言ってくれるだろう」と話した。
 相談、問い合わせは桐木代表(TEL090・9484・2016)。

 3人とも、既に弁護士と依頼者という関係を卒業し、一人立ちして大きく羽ばたいている。頼もしくもあり、また、いとおしくもある。教え子が甲子園やオリンピックに出場した、高校時代の元監督(?)の気持ちは、こんなだろうか。

 私にとって「卒業生」はみんな大切だが、残された人生を過労死の救済と予防に尽くしたいと願う私にとって、上記の3人のような「卒業生」を送り出すことができ、これからの人生を共に手を携えて生きていけることを、本当に嬉しく思うのである。

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2016年11月13日 (日)

No.300 2人の過労自死遺族の発言に思うこと

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◆11月9日、東京の霞が関・イイノホールで、「過労死防止啓発シンポジウム中央会場」が行われた。これは、11月18日に八王子市で開かれる「東京会場」とは別に、全国的な位置づけで行われたものである。会場は満席で、後で聞くと480人を超える参加者があったとのこと。
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 主な進行次第は次のとおりである。
(1) 塩崎厚労大臣の挨拶
(2) 超党派議員連盟の世話人として出席された3人の紹介と馳浩代表世話人の挨拶(他の出席者は泉健太さん、高橋千鶴子さん)
(3) 厚労省の過労死防止対策推進室の村山誠室長から「現状の説明」
(4) 川人博弁護士から「過労死防止全国センター報告」
(5) 北里大学医学部公衆衛生学の堤明純先生から「過労死等防止のためのストレス対策」

(休憩)

(6) 金沢大学名誉教授の伍賀一道先生の「今日の働き方と過労死問題」
(7) 過労死遺族4人の体験談
 ①大学の准教授をしていた夫(当時48歳)を過労自殺で亡くした宮城県の前川珠子さん
 ②電通の新入社員であった娘(当時24歳)を過労自殺で亡くした高橋幸美さん
 ③経理の仕事をしていた長男(当時35歳)を亡くした茨城県の岩田徳昭さん
 ④老人福祉施設で働いていた夫(当時49歳)をクモ膜下出血で亡くした、和歌山県の小池江利さん
(8) 全国過労死家族の会代表の寺西笑子さんの閉会あいさつ

◆どの発言、報告も大変貴重なものであったが、すべてを紹介することはできない。
 ここでは、(7)の①・②の2人のご遺族のお話(発言の文字起こし)を紹介しておきたい(下線は私)。

【前川珠子さんのお話】ご本人のブログにも掲載されている。)

わたしは前川珠子と申します。

2012年、当時大学准教授であった夫を
過労自死で亡くしました。
享年48歳。あとには13歳の息子とわたしの2人が残されました。
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夫は仙台にある大学の工学部の工学部10年任期の准教授でした。
任期が終わるまであと四年を残し、
イレギュラーな形で、准教授だけの研究室を独立して構えておりました。
任期の終わりを4年後に控え、研究室の存続のための勝負をかけたところで、東日本大震災に被災しました。
膨大な日常業務をこなしながら、
ほぼ一人で、被災した研究室を立て直しました。

亡くなった2012年1月は、過酷な仕事が実り、仮設の研究室が整い、ようやく研究再開のめどが立った時期でした。
突然の解雇予告を受け、過労の局地にあった彼の精神はその直後に壊れました。
一週間後彼は爆発するように自ら命を絶ちました。

仕事が多すぎるんだよ。
回せないんだ。
亡くなる前に言っていた言葉が
今も耳をよぎります。
あの時、どうしてすぐ仕事を辞めてと
言えなかったんだろう。

仕事が命のひとでした。
彼からその愛する仕事が奪われた状態を
わたしはどうしても想像することができなかった。

それでも、死ぬほどつらいとわかっていたら
どんなことでもしたでしょう。

どんな状態でもいい。
わたしは彼に生きていてほしかったのです。

それはいま、ここにいらっしゃるすべての遺族のみなさんも
同じ気持ちではないかと思います。

今更、なにをどうしたところで
わたしたちの大切な家族が帰ってくることはありません。
でも、わたしは思いたい。
わたしたちの家族は、無駄死にではなかったと。
彼らはその生命をかけて
働くことの意味を、日本で生きる、すべてのひとに問うているのだと。

その問いに答えるのは残されたわたしたちの、そして
生きるためにはたらく、すべてのみなさんの責任です。

想像してみてください。
ある日あなたに電話がかかってきて
昨日まで元気だった
あなたの親御さんが、伴侶が、兄弟が、子どもが
突然命を絶った、と知らされるところを。

それがわたしたち遺族に起ったことです。

わたしたちの家族が間に合わなかったように
もしかしたらあなたの大事な人が、
ある日突然死んでしまうかもしれない。
次はあなた自身かもしれない。

いのちのはかなさと尊さ、そのかけがえのなさを
わたしたちは遺族は、嫌というほど思い知りました。
それはどんな犠牲を払っても、大切にする価値があります。

わたしたちは大きな歴史の一部にすぎず、
個々に起きる不幸を止めることはできない。

それでも、過労死はいつか必ずなくすことができる。
とわたしは信じています。

わたしは夫を失いましたが
その死は労働災害として認められました。
働くことで人が命を落とすのは、理不尽なことです。
しかし、現在のように過労死が
そのすべてではないとしても、
労災として救済の対象になることは
自然に得られた制度でも、権利でもありませんでした。

高度成長期の終わりと同時に頻発するようになった過労死を問題視し、
未来のわたしたちのために失われた命の重さを
訴えてくださった遺族の先輩方、
過労死弁護団の弁護士さんをはじめとした沢山の方々のお力で
わたしはいま、過労死遺族として、ここに立っています。

大きな力を持たない一人ひとりの人々が、
共通の思いのもとに集まり、ほぼ四半世紀の歳月をかけて
過労死という概念が育ち、法律がつくられました。
このシンポジウムはその流れの途上にある。
わたしたちはいまここで、新しい歴史を創っているのです。

誰もが健康でしあわせに働くことのできる未来を、
次の世代に残していきましょう。みんなで。


【高橋幸美さんのお話】

 娘の名前は高橋まつりと言います。  娘は昨年12月25日、会社の借上げ社宅から投身し、自らの命を絶ちました。

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 3月に大学を卒業し、4月に新社会人として希望を持って入社してから、わずか9ヶ月のことでした。
 娘は高校卒業後、現役で大学に入学しました。大学3年生の時は文部科学省の試験に合格して、1年間北京の大学に国費留学しました。
 帰国後も学問に励み、その後人一倍のコミュニケーションの能力を活かして、就職活動に臨みました。そして、早い時期に内定をもらい大手広告代理店に就職しました。
 娘は、日本のトップの企業で国を動かすような様々なコンテンツの作成に関わっていきたい。自分の能力を発揮して社会に貢献したいと夢を語っていました。

 入社してからの新人研修でも積極的にリーダーシップをとり、班をまとめた様子を話してくれました。
 「私の班が優勝したんだよ。」と研修終了後にはうれしそうに話してくれました。
 「憧れのクリエイターさんに何回も褒められたのを励みに頑張るよ」と希望に満ちていました。

 5月になり、インターネット広告の部署へ配属されました。「夜中や休日も仕事のメールが来るので、対応しなければならない」と言っていました。締め切りの前日は、終電近くまで頑張っていましたが、夏頃からたびたび深夜まで残って仕事をするようになりました。
 週明けに上がってきたデータを分析して報告書を作成し、毎週クライアントに提出する仕事に加え、自宅に持ち帰って論文を徹夜で仕上げたり、企画書を作成していました。

 10月に本採用になると、土日出勤、朝5時帰宅という日もあり、「こんなにつらいと思わなかった。今週10時間しか寝てない。会社辞めたい。休職するか退職するか自分で決めるので、お母さんは口出ししないでね。」と言っていました。

 11月になって、25年前の過労自殺の記事を持ってきて、「こうなりそう」と言いました。私は「死んじゃだめ。会社辞めて」と何度も言いました。
 その頃、先輩に送ったメールに「死ぬのにちょうどいい歩道橋を探している自分に気が付きます」とあります。
 SNSにはパワハラやセクハラに個人の尊厳を傷つけられていた様子も書かれていました。
 私には、「上司に異動できるか交渉してみる。出来なかったら辞めるね」と言っていましたが、仕事を減らすのでもう少し頑張れということになったようです。

 しかし、12月には娘を含め、部署全員に36協定の特別条項が出され、深夜労働が続きました。その上、数回の忘年会の準備にも土日や深夜までかかりきりになりました。
 「年末には実家へ帰るからね、お母さん。一緒に過ごそうね」と言ったのに、クリスマスの朝、「大好きで大切なお母さん、さようなら。ありがとう。人生も仕事も全てがつらいです。お母さん、自分を責めないでね。最高のお母さんだから」とメールを残して亡くなりました。

 社員の命を犠牲にして業績を上げる企業が、日本の発展をリードする優良企業だと言えるでしょうか。
 有名な社訓には取り組んだら放すな。死んでも放すな。目的を完遂するまではとあります。
 命より大切な仕事はありません。娘の死は、パフォーマンスではありません。フィクションではありません。現実に起こったことです。
 娘が描いていたたくさんの夢も、娘の弾けるような笑顔も、永久に奪われてしまいました。
 結婚して子どもが産まれるはずだった未来は、失われてしまいました。

 私がどんなに訴えかけようとしても、大切な娘は二度と戻ってくることはありません。手遅れなのです。
 自分の命よりも大切な娘を突然なくしてしまった悲しみと絶望は、失った者にしかわかりません。
 だから、同じことが繰り返されるのです。
 今、この瞬間にも同じことが起きているかもしれません。
 娘のように苦しんでいる人がいるかもしれません。

 過労死過労自殺は、偶然起きるのではありません。
 いつ起きてもおかしくない状況で、起きるべくして起きているのです。

 経営者は社員の命を授かっているのです。
 大切な人の命を預かっているという責任感を持って、本気で改革に取り組んでもらいたいです。
 伝統ある企業の体質や方針は一朝一夕に変えられるものではありません。
 しかし、残業時間の削減を発令するだけでなく、根本からパワハラを許さない企業風土と業務の改善をしてもらいたいと思います。

 残業隠しが、再び起こらないように、ワークシェアや36協定の改革、インターバル制度の導入がなされることを希望します。
 そして、政府には国民の命を犠牲にした経済成長第一主義ではなく、国民の大切な命を守る日本に変えてくれることを強く望みます。
 ご清聴ありがとうございます。

◆お二人のお話から言えるのは、過労死は決して「人ごと」でないこと、にもかかわらずそれが「人ごと」だと思われているから、過労死がなくならないのだ、ということである。
 要するに想像力の問題ということだが、一人ひとりに余裕がなく、社会全体が、相手の立場になって物事を考えたり感じることができなくなってしまっているのかもしれない。パワハラやいじめがなくならないのも、共通のものがあるのではないだろうか。
 しかし、遺族のこのような体験談は、自分の夫が、息子が、娘が、親が突然倒れたり自死したらどうだろうかと、否が応でも聞く人々の想像力、共感を呼び起こさずにおかない。
 その意味で、過労死遺族の話はたまらなく辛いが、それだけに貴重なのである。
 このような辛い体験を話される遺族の皆さんに、本当に頭が下がる思いである。


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